読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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冬のボーナスでノートカバーを買う。

師走忙しすぎ。

本を読む時間もとれぬ日々が続く。
実際には、布団に入って読もうとするのだけど、数ページ読み進めた時点で寝落ちしてしまう。
今月に入ってから何度電気をつけっぱなしにして寝てしまったことか。
このブログを書くのだって一か月ぶりくらいだ。

社会人生活に溺れそうになりながらも、なんだかんだもがいているうちに冬の賞与の季節がきた。
ボーナス!と喜べるほどの金額ではないが、支給されるだけ幸せなのだろう。

何に使おうか。欲しいものはいっぱいある。

アマゾンの欲しいものリストを見る。
欲しい本がいっぱい並んでいる。岩田宏の詩集とか、魚図鑑がほしい。

美味しいマイナー魚介図鑑 (よみ:おいしいマイナーぎょかいずかん)

↑『美味しいマイナー魚介図鑑』、めちゃくちゃ欲しい。読みたい。めちゃくちゃ欲しいなら買えばよい。買えばよいのだけれど……私の中の「何か」が執拗にストップをかける。読書に金をケチる大人にはなりたくなかったのに、3000円以上の本を買うことを躊躇いまくっている自分がいる……


が、結局、ノートカバーとA5の方眼ノートを買った。
方眼ノートは仕事用だ。ボーナスなので、普段の40枚のものではなく、70枚のものを買った。ささやかすぎる。
ノートカバーはプライベート用。
実は来年は、読書記録ノートを一新しようと考えている。その読書ノート用に使う予定だ。
ノートカバーをネットで調べると千円程度のものから一万円を超えるものまで出てくる。
ノートカバーを使ったことがない入門者の私は、とりあえず一番安いものにした。

ノートカバーの使い心地はどんなものか。届くのを楽しみに、師走の日々をもうひと頑張りしようと思う。

なんだかんだで3周年。世界の片隅で、弱小ブログは続いてます。

はてなブログ5周年ありがとうキャンペーンお題第2弾「5年後の自分へ」
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/hatenablog-5th-anniversary

はてなブログが5周年らしい。

と、思ったら、このブログも今日11月18日で3周年を迎えていた。最近追加されたこよみモードで知った。

ある日、本当に急に思い立って始めたブログ。
思い立ったら善は急げと、その日のうちに登録し、ブログを立ち上げた。
自分の唯一の趣味であり、人生を通してただ一つ続けることができている「読書」についてなら、ブログを書き続けることができるのではないかと思った。
当時は、人生において一番本を読んでいた時期であり(週に2、3回図書館に通っており、年間250冊以上は読んでいた)、好きな本をテーマにしたらネタに困ることはないだろうと思った。
タイトルを考えるのももどかしく、とりあえずシンプルに「読書録」とブログタイトルをつけた。
そうして、毎日はてなのサイトを確認する日々が始まった。

この3年間、いろいろあった。
ほんとうにいろいろあった。私は3年分しっかりと歳をとった。3年分の本を読んだ。ブログには記事がたまった。
就職という人生の節目もあった。引っ越しもして、今は3年前は名前も知らなかった田舎町に住んでいる。
成長した部分もあれば、そうでない部分もある。
多少は世間を知った気もする。
が、2年前3年前の自分で書いたブログ記事を読むと、当時と考え方がほとんど変わっていないことに愕然としたりもする。

書評とはなにか、ネットで読書感想を発信することの意義や責任や無責任さについて考えたときもあった。
就活についての怨念を、キーボードに乗せて一気に書いた記事もあった。
自分の「恥部」である本棚だって、勢いに任せてさらしてしまった。
読書傾向も変わった。海外文学やSFや現代詩を読むようになった。

5か月間、ブログを書かない時期もあった。
5か月後、記事を書くと以前のようにスターをつけてくれる読者の方がいた。単純に、うれしかった。

5年後、私はブログを続けているだろうか。
続けていてほしいな、と思う。
ここには確かに、私の人生の軌跡がある。読んだ本こそが人生を作るのだ。


dokusyotyu.hatenablog.com

↑記念すべき最初の一行。

風呂読書と自己否定 つげ義春『新版 貧困旅行記』

 11月。十分すぎるほど寒くなってきた。寒さに耐えられない夜は、ガス代を気にしつつ湯船にお湯を張る。
 せっかく湯船に湯を張るという贅沢をするのだから、風呂の時間をめいっぱい有効に使いたい。となると風呂に文庫本を持ち込むに限る。風呂読書についてはこのブログに何度か書いた気もするが、社会人になってからその頻度が、がくんと落ちた。この夏場はシャワーのみで済ませることが多く、月に一度くらいまで湯船の出番は減ってしまった。さすがにシャワーを浴びながら本は読めない。
 昨夜もガス代と湯船につかり体をじっくり温める幸せを天秤にかけつつも、給湯器のスイッチを入れた。
 相棒はつげ義春『新版 貧困旅行記。そのタイトルと、多数収録されているいかにも「昭和」な田舎の写真に惹かれて買ったものだ。

 わたしは、湯船の三分の一を覆うように湯船の蓋を置き、そこを読書台替わりにしている。
湯につかり十分にあったまり、旅行記も区切りの良いところまで読んだので(猫町紀行』『猫町紀行あとがき』という荻原朔太郎にインスパイアされ、道に迷うためにドライブするエッセイを読んでいた)、体を洗おうとしたときのこと。いつものように湯船の上の蓋に本を置いた。そして湯から出るために態勢をかえた。そのとき。
 目の前が崩壊した。
 目前の湯船の蓋が傾き、そのまま湯船の中へ。もちろんそのうえにあった本も湯につかる。
あっと思うと同時に、本を救出した。が、時すでに遅し。表紙も中身も波打っている。
 実はこのような経験は初めてではない。
 ここでやってはいけないことは、くっついてしまったページを開くことだ。薄い紙の分校本では破れてしまう恐れがある。本の状態が気になって仕方がないが、濡れた本の前で人間ができることは少ない。じっと自然乾燥するのを待つだけだ。
 
 が、それがなかなか難しい。

 せっかくの本を落としてしまった、濡らしてしまったショック。あーあ、何やってんだろう自分、最近集中力が足りてないんじゃないか、という自己嫌悪。すがりたくなりますよね、活字に。
 とりあえず髪と体を洗い、そして再び湯に入ってから濡れた本を開いた。慎重に、慎重に。
『ボロ宿考』という4ページの短いエッセイを読んだ。その中に、ボロ宿に惹かれる著者と自己否定についての文章があった。

 私は関係の持ちかたに何か歪みがあったのか、日々がうっとうしく息苦しく、そんな自分から脱れるため旅に出、訳も解らぬまま、つかの間の安息が得られるボロ宿に惹かれていったが、それは、自分から解放されるには“自己否定”しかないことを漠然と感じていたからではないかと思える。貧しげな宿屋で、自分を零落者に凝そうとしていたのは、自分をどうしようもない落ちこぼれ、ダメな人間として否定しようとしていたのかもしれない。

 自己否定=自由。思いもかけず、今までに持ったことのなかった視点に出会えた。そのタイムリーさにも驚いた。ちょっと元気が出た。湯船のなかで、体は十分に温まっていた。長湯もそろそろ潮時か。
 今度は、本をしっかりと手に持ったまま湯から出た。
 
 そして一晩たった今日。一度湯につかった文庫本はいまだに濡れており、ページが開きにくい。とっくに湯冷めしてしまっているだろうが、この文章を書き終わったら、こたつにでも入れてあげようかと思う。

過去の風呂読書記事を掘り出してきた。

dokusyotyu.hatenablog.com

dokusyotyu.hatenablog.com



読書録
『新版 貧困旅行記
著者:つげ義春
出版社:新潮社
出版年:1995年初版

新版 貧困旅行記 (新潮文庫)