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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

恋愛小説じゃないけど。『告白』。町田康

 日曜日。

 平日は毎日のように、次の休みの日こそ遊びに行こうと思っているのに、いざ休日を迎えると腰が重い。
 都会の本屋へ行きたいなと思うのだけど、まあ、図書館から借りた本も、キンドルには読み返したいシリーズ物も、部屋の片隅には積読山もあるし、都会はまあ今度でいいや……となって一カ月くらいが経っている。
 それに今週は、車は車検。慣れない代車でドライブはあまりしたくない。だからといって電車でどこか行こうにも、天気が悪いし金がかかる。

 そう、何かをするには金がかかる。
 そして私は金がない。

 あまりの積雪に恐れをなしてスタッドレスタイヤも買ったし、車検代もかかるし、布団が寒くて毎日のように布団乾燥機を使っていたら電気代が上がったし、三日に一日は湯船にお湯をためていたらガス代も上がった。欲しい欲しいと思っていた本(『美味しいマイナー魚介図鑑』)も買ってしまったし、土曜日には30%割引になっていた牛スジ肉も買ってしまった。
 給料は安いし、だからといって、仕事を頑張ったり転職を考えたり投資を始めるのも面倒くさい。

 お金、欲しいなあ。宝くじ、当たらないかなあ。

 お金で買えないものはあるというのは確かにそうだろうけども、金があったら解決することも私の人生には多い。
 ああ、金金金金金金。

銭銭銭銭銭銭

 牛スジ肉をとりあえず煮込みながら読みはじめた町田康の長編小説『告白』には、「銭」という文字がよく出てくる。
 なぜなら主人公が博打打ちだからだ。
 舞台は明治時代。500円が大金だった時代のはなし。生活で使うお金の単位には「銭」と「円」が共存している。
 主人公熊太郎は、賭博をしては負け一文無しになったり、騙されたり見栄を張ったりで金を工面しなくてはなったりする。『告白』は、そんな物語だ。

 前情報をまったく得ずに読み始めたので、まず、明治時代の話であることに驚いた。
 『告白』というタイトルから、現代ものの恋愛小説――もちろん、作者が町田康なので一筋縄ではいかないだろうけど――と思って読み始めたのであった。だから冒頭の一行目から、

 安政四年、河内国石川郡赤阪村字水分の百姓城戸平次の長男として出生した熊太郎は気弱で鈍くさい子供であったが長ずるにつれて手のつけられぬ乱暴者になり、明治二十年、三十歳を過ぎるころには、飲酒、賭博、婦女に身を持ち崩す、完全な無頼者に成り果てていた。
 父母の寵愛を一心に受けて育ちながらなんでそんなことになってしまったのか。
 いかんではないか。

 こんな具合で、衝撃を受けた。うん、これは恋愛小説じゃない。

 ではなぜ告白か。熊太郎は何を告白するのか。

 そう思って読み進めるのだけれども、物語の方向性が読んでも読んでも解らない。
 物語の型として、起承転結というのがあるが、今が物語全体のどの部分なのか、まったくわからなかった。
 だからといって物語が進まないわけではない。熊太郎は順調に子供から大人になっていくし、それに合わせて賭けに負ける額も大きくなっていく。
 それでもこれがどんな物語なのかということが読んでも読んでも解らなかった。読んでも読んでも熊太郎はアホなことばかりをしている。
が、それども物語はどんどん白熱していき、特に最後の100ページ、おおお、と思っているうちに物語は一気に「転」じ、まじかそうなるのかと思っていると、ラスト5ページでドンデン返しが迎えてくれた。

 そして「告白」は?
 
 最後に熊太郎はある一言を発する。しかしそれは、告白ではなかった。

 俺は生きている間に神さんに向かって本当のことを言って死にたい、ただそれだけなのだ。

 最後まで読んでぼんやりと思った。むしろこの物語は、告白する言葉を持たなかった、それゆえ告白できなかった男の悲劇なのだ。

考えすぎる人

 熊太郎は不幸なことに、良くも悪くも思弁的な人間だった。しかし彼の生きたのは明治初期の農村地帯。周囲の人間は思考と発する言葉が直接的につながっている者ばかりだった。

そんななかでひとり思弁的な熊太郎はその思弁も共有する者もなかったし、他の者同様、河内弁以外の言語を持たず、いきおい内省・内向的になった。

 考えすぎる熊太郎は、何も考えず親や世間の言うことに従うことができなかった。
 14歳の熊太郎は思う。

 そんな熊太郎はますます虚無・退廃に追い詰められていき、ついには真面目になにかと一生懸命取り組む、ということは恥ずかしいことだと思うようになった。
 といって熊太郎は不真面目だったわけではなく、熊太郎もできれば真面目にやりたかった。しかし脇目もふらず真面目にやることが果たして真面目なのかと熊太郎は真面目に思った。
 脇目もふらず、すなわち周囲に対していっさい顧慮しないで真面目にやるというのは一種のエゴイズムではないかと熊太郎は感じていたのである。
 そして熊太郎はそのことを説明する言葉を持たなかった。

 もし熊太郎が現代に生きていたら。モラトリアムという期間を過ごす時間を与えられていたら。哲学や思想を勉強する機会があったのなら。
 読みながら何度か思った。熊太郎は現代社会では、案外うまく過ごせたのではないか。
 それと同時に、考えすぎて動けなかった過去の自分や、その結果として流されるように生きている今の自分と熊太郎を重ねてみたりもした。考えすぎる故に恥の意識が強くかつ見栄っ張りな熊太郎は、周囲の人から見れば「アホ」である。が、現代社会に生き、考える言葉を持つことを当たり前としている私たちにとって、熊太郎的な部分は誰もが共有している。アホなことばかりしている熊太郎を自分のことのように恥ずかしく思ってしまうのは、私の中に、考えすぎたり自意識過剰すぎてアホなことや失敗してしまったことが、忘れてしまいたい過去として残っているからだろう。
 私は、こんなブログを続けている程度に、自意識の強い人間だ。熊太郎のように道を踏み誤らないように気をつけなければ……

読書録
『告白』
著者:町田康
出版年:2005年
出版社:中央公論新社

告白 (中公文庫)
↑ちなみに文庫でなく、単行本で読みました。

パソコン断ち

今週のお題「新しく始めたいこと」

ふと思い立って、2週間ほどパソコン断ちをしていた。
目の前にノートパソコンがあると、ついだらだらとネットをしてしまう。

人生は短い。
私は加速度的に老いていく。
ただでさえダメな人間なのに、このままではますますダメな人間になってしまう。
そんな危機感もあってのパソコン断ち。

が、どうやら私がダメな人間なのは、パソコンのせいではなかったようだ。

バイスの有無にかかわらず、私は何もできない人間だ。
やりたいことはたくさんある。
読みたい本も、観たい映画も、行きたいところもいっぱいある。

このまま流されるように日常を送ってしまったら、何一つできないのではないか。
あっという間に老い、仕舞には気力もこのような危機感もすべてがなくなってしまうのではないか。

私は、まだ、自分がただのダメ人間である、ということを認めることができないでいる。

愛は金では買えない。それが親子であっても。『ゴリオ爺さん』バルザック

バルザックゴリオ爺さんを読んだ。

パリの社交界での成功を夢見る貧しい学生ラスティニャック。
彼の住む安下宿には、一代で財を成した裕福な商人であったゴリオ爺さんがいた。
ゴリオ爺さんが貧乏生活を送る羽目になったのは、美しい二人の娘のせいである。
華やかな社交界に暮らす二人の娘のために、ゴリオ爺さんは自分の財をせっせと娘にやるのだ。
何しろ社交界には金がかかる。
それでもゴリオ爺さんは幸せだと自分に言い聞かす。すべては娘たちの幸せのため。そして娘の幸せのためにはと、妻との思い出の品も、自らの年金も、すべて売ってしまうのだ。

残酷な物語だ。
物語の冒頭、ゴリオ爺さんはすでに貧しい老人だが、物語が進むにつれ彼はますます貧しくなっていく。
しかし彼の娘たちは、ゴリオ爺さんをけっして親として尊重しないのだ。
彼は失意と、病が見せる幸せな幻の中で死んでいく。臨終前の、数ページにも及ぶ老人の叫びの痛々しさ。
奇跡は起きないのだ。
そしてバルザックは、ラスティニャックがあげたゴリオ爺さんの葬儀埋葬にかかった値段を細かく記す。死ぬにも金がかかるのだ、弔いさえも金次第、という当たり前の事実を読者に突きつける。

(しかし赤の他人の看病をし、葬儀まであげるラスティニャックの存在は、現代社会の中にいる私からすると十分に「奇跡」的な存在に思える。そう、ゴリオ爺さんは「孤独死」したわけではないのだ)

貧乏人の死というシリアスなテーマを扱っているが、この物語は決して暗いものではない。
「人間喜劇」、この言葉がしめすように、物語はどこか軽く、するすると進んでいく。
びっくりするほど読みやすい。
バルザックは、だいぶ昔に『百歳の人――魔術師』という本を挫折したことがあったので、読み通せるか少し不安だったのだけれど、まったくの杞憂だった。

19世紀パリ社交界の「恋愛」が、現代日本のそれとは大きくことなることも興味深かった。
田舎から出てきたラスティニャックは、そこで出世の道具としての「愛」、金蔓としての「愛」に出会う。

借金でつくられた煌びやかなドレス。
政治結婚と愛人たち。
噂と野次馬根性に満ちた晩餐会。

圧倒されて読了。
ゴリオ爺さんの物語はここでエンディングを迎えたが、彼の臨終を見送ったラスティニャックの人生は続く。
「人間喜劇」作品群の別の物語に、彼は登場するそうなので、それらも読んでみたいと思った。
物語の半ばでいきなり退場していった謎の男ヴォ―トランの今後も気になる。

ゴリオ爺さん (古典新訳文庫)