読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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読書疲れの日曜日【読書日記】

 特に予定もなかったので本を読んで土日を過ごした。
 一人暮らしであることをいいことに、土曜日は布団を敷きっぱなし、パジャマも着っぱなし。

 本を読んでは、寝落ちして、再び、本を読んで、寝て、食べて。

 そんなこんなで日曜日のお昼過ぎ。
 さすがに着替えて、布団をあげた。
 図書館へ出かけようかと思ったが、なんとなく体がだるくふらふらした。
 睡眠時間だけは十分足りているはずなのに。典型的な読書疲れ。
 本を読んで寝ただけなのに疲れるなんて、歳をとったものだ。

 気合を入れようとシャワーを浴びて、コーヒーを二杯飲んだ。

 この二日で読んだ本は、ミステリ2冊に、新書1冊に、ファンタジー1冊。そして読書エッセイを少々。たいして読んでいない。
 まず読んだのが、老人たちによる犯罪譚『犯罪は老人のたしなみ』カタリーナ=インゲルマン・スンドベリ著。スウェーデン人著者による殺人が起きないミステリだ。自由のない老人ホームより、刑務所の方がマシ!という動機で、犯罪に走る老人たちが主人公のドタバタ劇である。これも一種の北欧ミステリか、なんて思いながら読んだ。
 
犯罪は老人のたしなみ (創元推理文庫)


 次いで読んだのは横溝正史『夜歩く』金田一耕助ものの長編だ。そういえば未読だったなと手に取った。横溝ミステリを読むのは3年ぶりくらい。読んだらさすがに面白い。長編といってもサクッと読めた。
 旧家を舞台にした、「血」と「劣等感」をめぐる物語。オドロオドロシイ舞台装置に、「怪物」と自称するほど印象的な登場人物たち。謎のメッセージ「汝、夜歩くなかれ」。探偵役である金田一耕助の出番は少ないが、それも立派な伏線で、最終章でのどんでん返しに驚いた。この本は、○○ミステリだったのか! 
 ……この驚きを味わうためにも、金田一耕助シリーズを何冊か読んでから『夜歩く』は読むことをお勧めします(ちなみに『夜歩く』は、『本陣殺人事件』『獄門島』に続く、長編3作目にあたる)。

夜歩く (角川文庫)


 小説の合間に読んだのが、松谷みよ子『現代の民話 あなたも語り手、わたしも語り手』。2000年に出版された中公新書である。「現代」と「民話」、なかなか不思議な組み合わせの言葉だ。しかし確かに、子どもたちは怪談が好きだし、テレビには「世にも奇妙な物語」、ネットには「洒落にならない怖い話」が次々とアップされているし、私の通っていた大学には幽霊が出た。民話は常にそこにあり、私たちは民話が生み出されるその瞬間に立ち会っているのだ。そして民話は、口承、書承を行ったりきたりするうちに、類型化され、伝説化する。
 また著者の松谷みよ子童話作家でもあり、『モモちゃんとアカネちゃん』『怪談レストラン』といった、あーそういえば小学校の本棚にあったなぁという本を書いたり編集してたりする。民話研究家という側面を知って、なんだか意外だった。

現代の民話―あなたも語り手、わたしも語り手 (中公新書)


 そして久しぶりにファンタジーを読んだ。ブッツァーティ著『古森の秘密。帯にファンタジーと書いてあったのでファンタジーなんだろうなと思って読んだのだが、読むとなかなかにファンタジーと一言で片づけるのは難しい物語だった。確かに、鳥も風も小屋さえも人間と話をするし、精霊も出てくるしでファンタジー要素満載で、物語の筋もビルディングロマンと言えるのだけれども、それだけではない。
 まず主人公が初老の偏屈な退役軍人である。何百年も伐採から守られていていた森を伐採しようとするし、莫大な土地を相続した甥を殺そうとするし、まあ、悪い奴である。でも悪い奴と一言で片づけられるほど、はっきりとした悪い奴ではない。なんというか人間らしい振れ幅をもった悪い奴なのである。読んでいるうちに、なんだかかわいそうな人に思えてくる。
 普通ファンタジーの主人公は、困難を乗り越えつつも「勝っていく人たち」を主人公にしている。しかしこの本が描くのは「負け行く人たち」なのである。
 岩波少年文庫にも収められている物語だが、大人が読んでも十分に考えさせられる物語である。

古森の秘密 (はじめて出逢う世界のおはなし)


 さて。まだ日曜日は5時間も残っている。図書館にも、古本屋にも行ってきて、本は補充済みだ。読書疲れもいつの間にか吹き飛んだ。次は何を読もうかな。ちなみに他の本の合間に読んだ読書エッセイは桜庭一樹『お好みの本、入荷しました』。読書欲への刺激剤としては抜群に効く一冊だ。

お好みの本、入荷しました (桜庭一樹読書日記) (創元ライブラリ)

池澤夏樹=個人編集『日本文学全集29 近現代詩歌』

 都会で学生時代の友人に会った。
 その帰り道に本屋へより、前から欲しかった、池澤夏樹=個人編集『日本文学全集29 近現代詩歌』を買った。

 ところで都会へ出ると建物の多さに圧倒される。
 特に生活の場であるアパートやマンションの数に圧倒される。
 ベランダの数だけ部屋があり、その一つひとつに人が住んでいるという、なんてことのない事実に圧倒される。

 人は一人では生きていけないというけれども、では、何人いれば生きていけるのだろう。

 そんなことを思ったり。

 これだけ人間がいるのだ、生活しているのだ、私と同じような悩みを持つ人間も必ずどこかにいるだろうし、私と同じくらいダメな人間もきっといることだろう。 

 と、希望に似た何かを、その地平を覆いつくすかのようにみえる住宅街の中に見出したり。

 私は、結局のところ、不安なのだ。将来、未来、明日。言葉を変えてみたところで、何も見通せない。
 だから、いっそのこと自分の手で「未来」を終わらせてしまいたいと思う気持ちもわかる。今は、確かに、ここにある。「未来」を確実な「今」に凍結したい。

 確実でないものは怖い。
 確実な未来がほしい、確実な生活がほしい、確実な仕事がほしい、確実な愛がほしい。
 そんな切実な願い。一介の生物に過ぎない人間には、手にできる「確実」はあまりにも少ない。 
 
 しかし人間には言葉がある。確実でない気持ちや、確実でない願いを、言葉を使って少しでも「確実」にしようとする。いや、もちろん言葉を尽くしたところで「確実」を手にすることはできない。しかし確実でないことを改めて認識することくらいはできるようになる。

 そんな祈りにも似た行為が詩作なのではないだろうか。

近現代詩歌 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集29)

料理研究家の研究。阿古真理『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』【読書感想】

 どちらかといえば料理は好きだ。
 だけど料理の本を読んだり、自炊関係のブログやテレビの料理番組を眺めるはもっと好きだ。
 レシピ本を見ながら料理をすることよりも、ただただレシピ本を眺めていることの方が多い。
 残業帰りに半額総菜やらインスタント食品やらを買ってきて、NHKの『今日の料理』を観ながら食べる背徳感も大好きだ。

 料理本や料理番組の主役はもちろん料理自身だろうが、その次に重要な役割を果たすのが「料理研究家」だろう。
 なんという曖昧な職業だろう。その定義の曖昧さはともかくとして、「小林カツ代」「栗原はるみ」といった料理研究家の名前は、料理に興味のない方でも、聞いたことがあるのではないだろうか。
 そんな料理研究家を主眼においた新書が小林カツ代栗原はるみ 料理研究家とその時代』である。帯には「本邦初の料理研究家論」とある。

まえがき
プロローグ――ドラマ『ごちそうさん』と料理研究家
第一章 憧れの外国料理
第二章 小林カツ代の革命
第三章 カリスマの栗原はるみ
第四章 和食指導の系譜
第五章 平成「男子」の料理研究家――ケンタロウ、栗原心平コウケンテツ
エピローグ――プロが教える料理 高山なおみ
あとがき

料理研究家と時代

 料理研究家の活躍を考えるにあたり、その背景となる時代を無視するわけにはいかない。むしろ「料理研究家を語ることは時代を語ることである」と著者はいう。

彼女・彼たちが象徴している家庭の世界は、社会とは一見関係がないように思われるかもしれないが、家庭の現実も理想も時代の価値観とリンクしており、食卓にのぼるものは社会を反映する。それゆえ、本書は料理研究家の歴史であると同時に、暮らしの変化を描き出す現代史である。

 本書では「時代を象徴する料理研究家として独自に選んだ」料理研究家の、個人史とその背景にある時代、そして彼彼女らの提供した料理や「料理観」について書いている。かといって、この本は決して堅苦しい本ではない。むしろもっと堅苦しくてもいいのに、と思うくらいだ。

ビーフシチューの定点観測

 そして面白いのは、時代や料理観を比較するために、各料理研究家の「ビーフシチュー」のレシピを比較していることだ。
 例えば、明治生まれで洋行帰り、テレビ最初の料理番組にも起用された江上トミのレシピはブラウンソースから手作りする本格派だ。一方、昭和12年生まれの小林カツ代は、料理は「化学であり科学である」という持論を元に時短レシピを次々と生み出したが、その彼女が作るビーフシチューのレシピには缶詰のドミグラスソースが登場する。そして小林カツ代の息子ケンタロウのレシピは逆に、ブラウンソースを手作りする手間のかかるものであった。著者はケンタロウのことを「手間を惜しむ方向へ加速していた家庭料理の世界に風穴を開けた。」と評する。

 ちなみにめんどくさがりな私は、ブラウンソースを手作りしたことはない。私の母も同様だったと思う。

 この本に不満があるとすれば、ここ最近の料理研究家の話題にほとんど触れていないことだ。料理研究家を取り巻く環境は急激に変化しているように思う。クックパッド、料理ブログ、匿名掲示板に食品メーカーのレシピサイト。インターネットには料理が溢れているし、ノンフライヤーや電気鍋といった興味がそそられる調理家電が次々と発売されている。
料理研究家」というものがこの先どうなっていくのか。先の見えない時代と言われて久しい。時代を映す「料理研究家」がこの先どのような形になっていくのか……過去をいくら眺めても、見えてはこないということか。

読書録
小林カツ代栗原はるみ 料理研究家とその時代』
著者:阿古真理
出版年:2015年
出版社:新潮社
小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代 (新潮新書)