読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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結婚前夜に読む本【読書と人生】

 実は明日結婚する。

 「結婚前夜」と聞くと、「ドラえもんのび太結婚前夜」が浮かぶ世代なのだが、現実の結婚前夜はアニメのようにドラマチックではない。親と同居しているわけではないので涙の別れはないし、そもそも式も披露宴もしない。流行りのナシ婚。入籍だけだ。遠距離恋愛からの結婚なのだが、入籍後すぐに同居をするわけではない。明日以降も一人暮らしの生活が続く。
 今日だって、ごく普通に仕事に行き、ごく普通に仕事をこなし、ごく普通に帰宅し、一人で食事をとり、今この文章を書いている。あっ、でも久しぶりに定時で帰れたので、帰りに本屋には寄ったか。

 結婚前夜、どんな気分で過ごすのだろう、と思っていたが、今はごくフラットな気分だ。

 さて、これからどうしようか。

 本を読もう。
 何を読もうか。読みかけのトルストイ戦争と平和』か、今日買ってきた田中圭一『うつヌケ』か(ああ、結婚したらこのような本や自己啓発書はどこで読めばいいのだろう!)、それとも最近婚約者にもらった前野ウルド浩太郎『バッタを倒しにアフリカへ』か。仲良くなるきっかけとなった伊藤計劃『虐殺期間』か。
あるいは今の気持ちを正直に、アナログのノートに記しておくべきか。
 
結婚しようがしまいが、私の人生は続いていく。しかし確かに、明日は私の人生において、一つの明確な区切りとなることだろう。
 一時期、毎日のように「自分の人生は失敗だった」と思っていた。今も「自分が幸せになれるわけがない」という思いは心の底にあるが、今は「幸せになれなくとも構わない」と開き直ることもできるようになった。この幸せになれない私の人生がどこに行きつくのか、今の段階では分からないけれど、私は私の人生を徹底的に見届けようと思う。

すべては「普通」のために。『コンビニ人間』(村田沙耶香著)【読書感想】

読みたい読みたいと思っていた本をついに購入。単行本の小説を買うのは久しぶりだ。
第155回芥川賞受賞作、村田沙耶香コンビニ人間。帯にはこうある。

36歳未婚女性、古倉恵子。
大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。これまで彼氏なし。

これだけでも興味がそそられる。
「普通」の感覚だと、36歳で、未婚で、18年もコンビニバイトをしている、と聞くと、何らかの事情があるのではないか、と疑いたくなる。
しかし彼女には、特別な事情もなければ、18年もバイトをしているという過去にも現在にも、劣等感を持っていない。
大学時代に始めたコンビニバイトが肌に合い、それを続けている、それだけである。

日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、
清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、
毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。

彼女は規則正しい生活を送り、労働をし、もちろん犯罪を犯すわけでもない。
ただ彼女は、「普通」の感覚がわからない。だから彼女には焦りや劣等感がない。
しかし「普通」の人々は、理由なくコンビニバイトを続ける彼女を理解することができない。
彼女は「普通ではない」人として、読者の目の前に立ち現れる。
彼女の存在は、私たちの生活が、「「普通」の人間は恋愛するもの」「「普通」の人間は正社員を目指すもの」といった言葉にされていない「普通」の上に成り立っていることを、そしてその「普通」には、なんら論理的な存在理由がないことを突きつける。

ある日、婚活目的の新入り男性、白羽がやってきて、
そんなコンビニ的生き方ははずかしいと突きつけられるが……。

「普通」とは何か?現代の実存を軽やかに問う衝撃作

非論理的であろうとも、「普通」の人間が大多数の社会は「普通ではない」人を異物として排除する。
「普通ではない」彼女は、しかし、コンビニの中においては、マニュアルを忠実に実行することで「コンビニ人間」になることができた。
コンビニ人間」である限り、彼女はコンビニの店員として「普通」を求める社会から排除されることを防いでいるのだ。

最近、仕事が嫌すぎて、どうして人は働かなければいけないのか、といったことを考えている。

生活費のため、社会との関わりを持つため、暇をつぶすため、と理由を並べてみる。

どれもいまいちしっくりこない。
例えば宝くじで高額当選当したら、とりあえず今の仕事は辞めるだろうが、一生働かないでいるかと言われるとそうでなく、何らかの仕事をするだろうと思う。だからといって、仕事に社会とのつながりや暇つぶしを求めているのかと言われると、そうではないように思う。
この本を読んで、「普通」でいるために、社会から排除されないために、私は働いているのではないのか、と思った。
「普通」を強要される社会は何とも息苦しく、そして生きづらさの根源にもなっているように思う。でもだからといって今の私は「普通」の生活を目指すことから脱却できるほど強くない。残念なことに。

そして私は、嫌だいやだと思いながら、明日も、これからも働くのだろう。

読書録
コンビニ人間
著者:村田沙耶香
出版社:文藝春秋
出版年:2016年

コンビニ人間

『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』(岡田尊司著)【読書感想】

私は極度のめんどくさがりである。
しかもその度合いが年々上昇している。

仕事が面倒くさいのはともかくとして、掃除や洗濯といった家事も、趣味友達に会うことも、ブログを書く程度には好きな読書も、はたまた食事をすることさえも面倒くさい、と思うことが増えてきた。
面倒くさいから予定のない日曜日、つまり今日のような日は、たいていの時間を布団の中で過ごす。
寝ることだけは面倒くさくない。
そして気がつけば夕方で、そういえば休みの間にやろうとしていたことがあったのだったと思い、後悔に苛む。

どうしてこんなにも、何もかもが面倒くさいのだろう。

一つには「生きがい」と呼べるほど情熱を持って取り組めるものが皆無だからだろう、と思う。
何か趣味でもあればなあと最近はよく思う。

本を読むのがずっと趣味だった。本屋や図書館には今もよく行くが、最近の集中力の低下によって読む冊数は大幅に減った。ブログの更新もすっかり滞ってしまっている。読みたい本や興味あるジャンルはいろいろあるのだけれど、いかんせん平日は時間がないし、社会人になってから住んでいる部屋が和室なもので、必然的に読書は半分寝ころんだ姿勢ですることが増え、本を読んだまま寝落ちすることも増えた。
ほんの数年前のように、夢中で本を読めたら、今よりはもう少し幸せになれる気がするのだけれど。

そしてもう一つは、一人暮らしに慣れきってしまった、ということもあるのだと思う。
一人暮らしの楽さは、底なしである。いくらでも堕落することができる。
一応会社員なので朝は起き出社し夜は寝る規則正しい生活を送っているが、もしも今の私が、何かしらの不労収入を得てしまったら、ひたすらに引きこもり昼も夜もない生活を送ることになるだろう。
ある意味、一人暮らしにも飽きてしまったのだろう。
自分のために稼ぎ、自分のために家事をし、自分のために生きるということに飽きてしまった。
特にやりたいこともないし、じゃあ寝るか、となってしまう。

生きるのが面倒くさい、だからと言って、簡単には死ねない。
なんとはなしに、インターネットで「生きるのがめんどくさい」と検索してみた。
すると、『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』というそのまんまの本が出てきた。
もちろん、書店で探すのは面倒くさい、ネット通販で買うのも受け取りが面倒くさいので、電子書籍で購入。

第一章 生きるとは面倒くさいことばかり
第二章 回避性パーソナリティ障害とは
第三章 回避性パーソナリティと回避型愛着
第四章「傷つきたくない」性格はなぜ生まれるのか
第五章 回避を強める現代人――適応か進化か?
第六章 回避性の人とうまく付き合う方法
第七章 回避性が楽になるライフスタイル
第八章 恥や恐れを気にせず自由に生きる方法


面倒くさくて最後まで読める気がしないので、興味のある章から読んでみるつもりだ。
こんな私でも、少しは前向きに生きていきたい気持ちはある。

読書録
『生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害』
著者:岡田尊司
出版社:朝日新聞出版社
出版年:2016年

生きるのが面倒くさい人 回避性パーソナリティ障害 (朝日新書)