読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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退職願を書く。

今週のお題「私がブログを書きたくなるとき」

久しぶりのブログへの投稿です。

このところいろいろあったような、なかったような毎日で、ブログを書かない日が続いている。
ネタとなる読書はずっと継続していた。どころが社会人になってからで一番といっていいほど集中して本を読んでいた。それも乱読。手あたり次第、目に入り次第読み散らかす、乱暴な読書だった。多くの本を読んだ。面白い本も、ブログで紹介したいと思った本も、もちろんあった。
それでもしばらくブログを書く気にはなれなかった。
いや実はブログだけではない。ここのところ手書きの日記も書く気になれずに放棄していた。

書く。
それがある種の救いになることを私は知っている。それでも何故か言葉を書く気になれなかった。
特に忙しすぎたわけではない。ストレスが溜まっていたわけではない。私は不幸でも幸せでもない。

ただ私の人生は、どうやら次のステージへと進んでいるようだ。

つい先ほど、退職願を書いた。
特別な感慨でも湧いてくるかと思ったが、全くそんなことがなくて驚いた。

新卒で入った会社を辞め、転職する。
このブログは学生時代から続けているため、就活中の記事も残っている。辛かった日々。懐かしい日々。あの頃の日々は、もはやずっと遠い。

あの頃から私は何も変わっていない。私の人生はあの頃と同じように主体性を欠いたまま、流されるように過ぎ去っていく。
まさに「変わっていくのはいつも風景」(by amazarashi)。

それでも流れていく風景の中には、忘れられない情景がある。そしてそんな情景の中にはいつも傍らに本があった。

例えば、就活中に羽田空港で買った『人間の土地』。たくさんのサラリーマンたちで溢れる空港の待合所で読んでいた、内定がまだひとつもなかった私。あのときの椅子の硬さを、そして郵便飛行の浪漫を今も確かに覚えている。

私が読んだ本について、ブログに凡庸な感想を書きつけるのは、人生を彩る大切な本たちを、しっかりと未来の私に伝えるためなのかもしれない。そうさいきんの私は、なんでだろうか、大切なことをすっかりと忘れてしまうから。

ストレスと本への衝動【読書日記】

 ストレス解消法は世の中にいくつもあって、きっと人それぞれお気に入りの方法があるだろう。
 どうやら私にとって、それは本の衝動買いであるようだ。

 最近、そこそこストレスフルな生活を送っているのだけれど、びっくりするくらい部屋の中の本が増えている。
 目に見える分はまだいい。物としての本が残るので、未来の自分へ罪悪感を覚えさすことができる。
 問題は電子書籍だ。
 クリック一つで本が買えてしまう。データなので物として残らない。場所を取らない。
 この気軽さがそのままハードルの低さとなって、浪費へとつながっていく。
 ストレスが溜まっているときは、「この本面白そう!」が「欲しい!」に、そして「これ買う!」と直結している気がする。
 わかっている、このままでは駄目だって。怖くてレシートもamazonの履歴も見返せない。一冊一冊は安くても、なんだかんだで万単位で本を買っている気がする。きっと高い単行本もちょっとマイナーな詩集も買えちゃうくらいの浪費をしている。
 なんだか、ほんとに、自分が残念だ。

 そしてこの文章を書いている今だって、高級ブランドのバックや時計に金を使っていないだけマシと思っている自分がいる。自己嫌悪。

 でも(この期に及んで言い訳する)、衝動買いした本の一冊吉野朔実は本が大好き』は一生大事にすると思う。

吉野朔実は本が大好き (吉野朔実劇場 ALL IN ONE)

小説のための小説『1000の小説とバックベアード』佐藤友哉【読書感想】

 小説をテーマにした小説を読んだ。佐藤友哉『1000の小説とバックベアード
 著者、佐藤友哉の本を読むのは初めてだったが、これが面白かった。一気読み。昨日は台風が来るとのことで、引きこもって本を読んでいたのだが、おかげで退屈することなく一日を過ごすことが出来た。
 テーマは、人は何故小説を書くのか。そしてこの本は、SFであり、冒険小説であり、ファンタジーであり、純文学である。面白くないわけがない。

 主人公は小説の神様に愛され、それゆえに苦悩する「片説家」だ。「片説家」とは何か。

 片説家は、簡単にいうと小説家みたいなものだが、本質はひどく違っているので、僕は決して片説家ではない。

 極端なことを云えば、文章を組み立てられる人間なら誰でも片説家になれる。それに小説家は自由業だし、読者も不特定多数だが、片説家は会社を作ってグループを組み、みんなで考えみんなで書き、読者ではなく依頼人に向けて物語を制作する職業だ。たった一人の読者のために物語を書く創作集団だ。

 物語は、主人公がこの片説家の会社を馘になるところから始まる。無職になった主人公は、その日から文字を読むことも書くこともできなくなってしまった。しかし翌日、そんな彼に「小説を書いてほしい」、「小説のせいで突然姿を消した妹を探している」という女がやってくる。無職になった彼は、小説を書こうと苦悩しつつ、知り合いの探偵の力を借りて行方不明の妹について探ろうとするが、これが一筋縄ではいかない。
 小説家、片説家、そして小説を書く能力に恵まれながらも小説家ではない「やみ」と呼ばれる人々、東京の地下にある特殊な図書館の主「バックベアード」、謎の集団「日本文学」。小説を愛する様々な立場の人たちが主人公の前に立ちあらわれる。多くの文豪たちに愛された「山の上ホテル」に宿泊し、「書きたいことはない。」という結論に至ってしまった彼は、自分の小説を書き上げることができるのか。

 書店に行けば毎月のように出る新刊本で売り場は溢れている。
 選択肢が多すぎて困惑してしまうほどに。

 それら……書店員たちが厳選したそれらは、とてもいい本なのだろう。魅力的な登場人物たちが謎に満ちた事件を解決したり、どこにでもいるような登場人物たちが平凡な日常をあるがままに生きたり、政治や戦争や性愛や幸福や結婚について考えさせられたり、彼女が死んだり猫が死んだり彼女が生き返ったり猫が生き返ったりと、とてもいい本ばかりなのだろう。
『いい本でした。おもしろかったです。感動したし、感心しました。それが一体なんだというの? だからどうしたっていうの? いい小説を読んだ。それで何がどうなるっていうの?』

 
 今年No.1のベストセラーだって、50年後にはほとんど誰も覚えていないだろう。一世を風靡した人気作家の本だって、100年後には誰も読んではいないかもしれない。いわんや多くの無名作家をや。
 
 それでもなぜ、人は小説を書くのだろう。
 それでもなぜ、人は小説を読むのだろう。
 
 一つの答えを、この小説は提示する。それが当たっているのか、それはもちろん分からない。
 
 しかし私たちが生き続けるしかないように、小説家たちは小説を書き続けるだろうし、読者は小説を読み続けるだろう。
 もしかしたら、目の前の積読本の山に、奇跡のような一冊の小説が眠っているかもしれない。そして未来の私は、その一冊に、人生を救われるかもしれないのだ。

1000の小説とバックベアード (新潮文庫)