読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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雨の日、ふいの休み、読書。【読書日記】

雨である。大雨である。
電車は運行休止、道路は通行止め。職場へは自動車で通っているのだが、職場までの行ける4つの経路すべてが通行止めになっており、職場周辺の地区は避難勧告が出されていた。

仕方がないので、職場へ行くことは諦め、本屋とスーパーに寄って帰ってきた。

本屋へ行くとついつい本を買ってしまう。集英社文庫のナツイチフェアの棚に、森博嗣の『暗闇・キッス・それだけで』が並んでいるを見つけ、衝動買い。
それから新書も何か欲しいなと思い、出口治明の『人生を面白くさる本物の教養』を購入。タイトルに「教養」とついている本を読んで、教養が身につくとは思ってもいないし、そもそも教養をつけたいと切実に思っているわけではない。それでもこの本を買ってしまったのは「人生を面白くする」という言葉にどうしようもなく惹かれてしまったからだ。人生つまらなすぎて、800円の新書にも縋りたいのだ。

にしても、先月末から、本を買いすぎな気がする。購入スピードに、読書スピードが追いついていない。図書館で借りた本だって、まだ読めていない。さらに悪いことに(?)、数日前から、中途半端に途中まで読んでいたトルストイの『戦争と平和』を再び読みはじめてしまった。そして読み始めると『戦争と平和』は、やっぱり面白い。モスクワにナポレオン軍が進軍してきた辺りを読んでいる。読了まで、先はまだまだ長い。今日買った本が読めるのはいつになることやら。積読本が増えていく。

今日はとりあえず、『戦争と平和』を読み進める予定だ。読書に飽きたら、プライムビデオで映画でも見よう。昨日見た映画『セブン』をもう一度観たい気もするし、『セブン』繋がりで『ファイトクラブ』を見返したい気もする。

戦争と平和〈5〉 (岩波文庫)

岩波文庫で読んでいます。5巻目。文庫の冒頭に地図がついており、行軍過程などを本文と見比べながら読むのが楽しい。

今年も読書記録が続かなかった。新しい読書ノートについて。【読書日記】

今週のお題「2018年上半期」

タイトルの通りの反省からこの記事を始めよう。
ここ数年、毎年のように、今年こそ読書の記録をつけようと発起しているのだが、ひと月も経たずに挫折している。
今年もその例に漏れず、2週間あまりで挫折してしまったので、この半年間に一体何冊の本が私の中を通過したのか追うことができない。半年間に読んだ本くらい思い出せるのでは、と思われるかもしれないが、これが出来ないんだなあ…

ちょっと流石に、読書が身になってなさすぎるのではないか。

私にとっての読書は趣味以外の何物でもなく、本に実益性を求めているわけではない。単なる暇つぶし以上でも以下でもない。だからひたすらに読んで、読んで、を繰り返してきたのだけれど。
でも、もう少し、何か、こう、あるのではないか。
特に最近は記憶力や思考力、集中力の劣化が激しい。加齢か。読んだ本の内容が頭に入っていないと感じることも、1冊の本を読み通せないことも増えてきた気がする。これでいいのか、自分。時間がもったいない、なんて言いたくないのだけど、読んだ本が自分の中に残ってなさすぎるのではないか。

そんなこともあり、数日前から改めて読書ノートをつけている。眠っていたロイヒトトゥルムを引っ張りだし、読んでいる本を書き付ける。

今まで、読書の記録は、一冊を読了した時点で記入していた。もしかしたらそこに挫折の原因があるのではないか。毎日一冊本を読了出来ればよいのだが、そうではないときは、記録をつける日とつけない日が生じてしまう。不定期に記入しなければならないことが、習慣化を妨げているのではないか。
そこで本を読むときは、手元に読書ノートを開いておくようにした。気になったことはすぐに書き込めるようにした。ノンフィクションであれば、読み終わった章の小見出しを書き写すようにもしている。とにかく書くことを習慣化させたい。

この方法を取り入れると、読書スピードは落ちてしまった。しかし、増加した読書時間は自分の中で本が咀嚼されるために必要であった時間である。努力を正当化したいだけかもしれないが、多少は深く本を読めるようになっている気がする。

あとは、続くかどうかだ。2018年も残り半年。毎日、少しずつでも書くことで、こつこつと続けていきたい。

平日、プール、読書。村上春樹訳『高い窓』レイモンド・チャンドラー【読書感想】

暑い。この1週間で急に湿度が上がり、一気に夏らしくなった。気がつけば6月が、2018年の半分が過ぎた。

先の金曜日、休日出勤の代休だった。ぽっかりと空いた平日に何をしようか。そうだ、プールに行こう。あまりの暑さ、蒸し暑さに、水浴びできたら気持ちいいだろうな、と思ったのだった。
都合のいいことに、アパートの近くには市営の温水プールがある。夏休みには早いから、子供もいないだろう。いそいそと、水着と水泳帽とゴーグルとタオルを取り出す。
正直、泳ぐのは得意ではない。中学校の体育のプールの時間は、仮病で休んでばかりいた気がするし、高校生のときは体育の授業が選択制だったので、水泳は選ばなかった。友達とぷーや海に遊びに行くほどリアルが充実した青春ではなかったので、泳ぎに行く機会なんてほとんどなかった。

そんな私が自らの意思でプールに行くとは。
大人になったものだ。

小銭を持っていることを確認し、市民プールへと向かう。
そして。
プールの入り口で見つけたのは「臨時休業」の文字。夏を前に1週間かけて清掃を行うらしい。まじか。
蒸し暑さが一層増したような気がした。プールの水の中で、ゆっくりと泳げたら気持ちがいいだろうなあ。プールには、大した執着はなかったはずなのに、何故だかとても残念に思った。

どうしようもなくなり、帰り道に図書館へ寄った。こんなに暑い日に、水泳以外にできることといったら、クーラーの効いた部屋で本を読むくらいしかないではないか。


ところで「平日、昼間、プール」という言葉で、私が連想するのは村上春樹である。どうしてだろう。きっと、彼が書いた物語の主人公が、平日の昼間にプールで泳いでいたか、作家自身が平日の昼間にプールで泳いでいるという随筆か何かを読んだからだろう。

そのような連想に影響され、図書館で村上春樹訳のハードボイルド小説を借りた。私立探偵フィリップ・マーロウが活躍する、レイモンド・チャンドラー作の長編3作目『高い窓』である。

『高い窓』感想。

ある夏の日。マーロウは、金持ちの未亡人であるマードック夫人(ケチでイジワルな姑)から、家出した嫁が盗みだした高価な金貨を取り戻して欲しい、との依頼を受ける。
金貨及びいなくなった嫁を探すマーロウだが、あちらこちらに聴き込みをしていくとうちに、殺人事件の第一発見者になってしまう…どうなるマーロウ?!といった物語である。

軽妙な会話のやりとり、いわくありげな人々、拳銃、酒、嘘、恐喝、そして殺人。スピーディーに進む物語。これでもかと詰め込まれた出来事。たった1日の間にマーロウは、尾行されたり、脅されたり、殺人事件の第1発見者になったり、警察官と飲んだり、クレーマーにあったバーテンダーを慰めたりする。引きこもりメンタルな私は、その行動力が羨ましいなどという、変な感想を持った。これだけ次々と事件に巻き込まれたり、初対面の人と話したりしたら、私なら次の日寝込むと思う。

そしてマーロウの優しさ、弱者への姿勢がとても印象に残った作品だった。彼は物語のなかで、共依存的なメンタルの下、DVを受けている娘を助けだす。「タフ」という言葉が何度か出てくる。この言葉を聞くと、もちろん「タフじゃなくては生きていけない。やさしくなくては生きている資格がない」のセリフが思い浮かぶが、まったく、本当の「タフ」とはマーロウのような男のことである。

村上春樹訳のマーロウを読むのは、初めてだったが、とても自然で、このシリーズの持ち味である会話の面白さが引き立っていたように思う。シリーズの他の本も読んでみたいと思った。


と、いうことで。プールには行けなかったが、それなりに充実した平日休みの一日でした。

高い窓