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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

『「三十歳までなんか生きるな」と思っていた』 保坂和志 

 保坂和志のエッセイである。エッセイにジャンルがあるとすれば、人生論思索系である。
 題名に惹かれて手にとった。「三十歳まで『なんか』」である。なかなかに刺激的だ。そして懐かしい、共感。

 私にも夭折願望というものがあった。
 惜しまれつつ死にたい、というよりも、長く生きたくないという思いが強かった。
 著者は大学進学を目前に控えた春休みに「三十歳までなんか生きるな」という言葉を紙に書き、机に張ろうと思ったそうだ。
「くだらない大人になりたくない」と十八歳の彼は思う。
 くだらない大人になりたくないと思っている自分がいたことすら忘れてしまったくだらない大人たちにはなりたくない。この感覚、良く分かる。

 

 十二歳になる年、母は私に十年連用の日記帳を買い与えた。一日四五行書けばよいだけのものである。
 一年ほどはまともに続けただろうか。
 しかしその後は続かず、日記帳には断片的な生活の記録しか残っていない。
 何故かその頃、日記に感情的なことや考えたことを記すことは恥ずかしいことのように思っていた。その結果、感受性が豊かだったはずの時期に考えていたことを辿れる資料が何一つ残っていない。
 大学生まで生き延びた現在よりも、ずっと毎日生きていくのが大変だった覚えはあるのだけれど、具体的に何が嫌で、何に不安を覚えていたのか、今の私は何一つ覚えていない。
 これはとても寂しいことだ。
 だけど私は、そのようなことをまったく気にせず生きている。

 

 過去を美化もしくは忘却し、妥協の連続の上で成り立つ生活を送りつつ、ほどほどに生きていく。
 かつての自分に合わす顔はあるか。
 著者は若者が持つ「大人を黙らせる良さ」を認めつつ、その後の大学生活を通して得た意識の変革を述べる。

 

「歳をとってみっともない姿になって生きていることを「凄いんじゃないか」と、いよいよ自覚的に考えるようになった」

 

 美化された理想は年月の作用によって現実と邂逅する。
 しかしこれは理想の敗北ではない。
 かつての理想の視野狭窄に気づき、一段高い段階に上ったとき新たな視界が開ける。
 時間と気づきは確実に人間を変える。
 それは悪いことではない。変化を楽しめば良い。
 歳をとる楽しみとは、自分の中に新たな視点を獲得し、新たな考え方を得ることなのではないか。
 確かに自分がどのような三十歳になり、五十歳になるのか楽しみだ。
 過去の自分には、あと数年後には別の考え方ができるようになるから楽しみにしておけと伝えたい。

 

 実は最近、新たに日記をつけている。
 出来事だけではなく、日々考えていることを記すようにしている。
 将来の自分へのプレゼントである。

 

「三十歳までなんか生きるな」と思っていた