読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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私の中のダメ人間と読書の波

一昨日あたりから気づいてはいたが、どうやらダメ人間モードに突入してしまった。

だからなんだという話である。

以下はただの愚痴かもしれない。申し訳ない。が、ダメ人間モードを早期に脱出するためにも書いてみる。

 

そもそもダメ人間モードというのは何か。

今まで他人に説明したことはないので上手く伝わるか不安であるが、試しに症例を書き出してみよう。

 

私の中のダメ人間

  • 果てしない思考の沼に囚われている

   →考えるという名の現実逃避

  • 自分がやるべきこと、優先順位を無視

   →ダメ人間な自分、という自己嫌悪に浸っている状態

  • 計画性の崩壊

  →自分に甘くなる

 

  • 生産的なことをやりたくない気分

 →引きこもりたい

 

伝わったであろうか。

私の中のダメ人間は、考えても仕方のないこと、考えたところで答えがないことを延々と考える(例:人間の生活とはなんだろう)、自己憐憫と自己嫌悪の入り混じった生温かい思考に停滞している人間である。

自意識過剰さの暴走である。

自分が好きなだけなのだろう、と客観的に評価したところで、再び自己嫌悪の沼に引きづりこまれる。何故なら自意識過剰だから。永遠ループ。

もはや考えは考えでなくなり、思考は言葉の断片に解体する。

意味ありげな言葉や文節が頭に溢れる。

言葉で溢れて、もう、何も考えられない。

 

さっさと現実に戻って来たら良いだけの話ではあるが、問題なのは、このようにとりとめのないことを考えることこそ人生では重要なのではないか、などとも考えてしまうことだろう。

いや、もう、ほんと、なんなんだろう、人生。

単なる中二病か。モラトリアムか。

大学生なんてこんなものか。

就活の自己PRが一行も書けないからか。

 

しかし読書は進む。

 

しかし、というべきか、だから、というべきか。実はこのダメ人間モードに突入してしまったときこそ、読書は進む。

読書が進む時期、進まない時期が3カ月周期ぐらいであるのだが、この周期には私の中のダメさ具合が関わっている気がする。

現実逃避か依存か、それとも純粋な知的好奇心か思索の深化を図っているのか。

自分に甘くなり、つい本を買ってしまう、ということもあるだろう。

昨日も4千円分ぐらい本を買ってしまった。

貧乏学生の癖して(後悔はしていないが、自分の金銭感覚に不安は覚える)。

 

どうして読書が好きなのか、読書に何を求めているのか、という問いの答えを見つけたいと思っている。

モラトリアム的状況にこそ、読書に惹かれるということから考えてみようとは思うが、上記の様な状態であるので考えられない。

ただ読書には私の中のダメ人間的部分を救う力があると信じている。

だから私は本を読む。

ダメな自分がぐるぐるしたり、本を読んだりすることに飽きるまで。

計画性のある、理性で支配された自分に座を明け渡してくれるまで。

 

最後に昨日購入した本と購入理由を記入しておく。

 

高村光太郎詩集』岩波文庫

 →一昨日の夜、いきなり『道程』の一節が浮かんできたため

 

『哲学の先生と人生の話をしよう』國分功一郎

 →市立図書館に未所蔵だったため。『暇と退屈の倫理学』の著者。

 

夫婦善哉・恐るべき女』無頼派の夜―織田作之助 実業之日本社文庫

 →新刊案内を見て気になっていた。実は織田作之助は未読であったため。

 

『週刊 読書人 12/13』

 →「2013年の収穫」のキャッチに惹かれたため。

 

以上、最後までお付き合いいただき感謝。

 

高村光太郎詩集 (岩波文庫)