読書録 地方生活の日々と読書

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「無頼派の夜」に浸る 織田作之助『夫婦善哉』

織田作之助夫婦善哉の名前は以前から知っていた。
たぶん、高校の時の「国語便覧」にでも載っていたのだろう。
いつか読んでみたいと思っていたが、手に取ることもなく過ぎてしまった。

無頼派の夜に浸る

『無頼派作家の夜』、とは粋なタイトルをつけたものだ。
実業之日本社から太宰治坂口安吾と共に織田作之助の短編集が刊行された。
太宰と安吾の収録作はだいたい読んだことがあったので、織田作之助夫婦善哉・怖るべき女』を購入。
解説が津村記久子というのも期待。
昨夜は早速、表題作『夫婦善哉』を読み、無頼派の夜に浸ってみた。

織田作之助夫婦善哉

作品を一言で表わせば、ダメ男を好きになってしまった女の半生記、ということになろうか。
主人公蝶子と内縁の夫柳吉の関係を、心理学者であれば「共依存」といった言葉で表わすのかもしれない。
確かに事象だけを抜き出し、そこに単語を当てはめると、良くある単純な話になってしまう。
けれどもその単純さ以上の何かを読者である私はその物語から感じる。

蝶子のような友人がいたら楽しいだろうなと思う。
そして酒でも飲みながら「あんな男に尽くすのはやめなよ」と忠告するだろう。
女遊びが好きで、貯金を勝手に飲み遊びに使ってしまうような男と付き合ったところで女は幸せにはなれない。
誰にでも分かる理屈だ。
しかし友人である私は、蝶子が決して柳吉と別れないであろうことを知っている。
誰でも、人間は、本当は、理屈ではない何かで動くのを知っている。
例えば理屈では説明できない拘りや思い入れや一時の感情など。
でも、だからこそ友人である私は蝶子のことが好きで、彼女に意味のない忠告を続けるだろう。

幸せ、不幸せという言葉で割り切れるほど人生は簡単ではない。
蝶子は幸せか。
否――幸せな人間が自殺未遂をするだろうか。
蝶子は不幸せか。
否――蝶子は決してダメ男に追従するだけの貞淑な妻では決してない。
蝶子には意志がある。
当たり前のように柳吉と暮していくという意志が。
彼女には彼と別れる選択肢なぞ、端から持っていない。
彼女の前にあるのは、柳吉との当たり前の生活だけだ。
忙しく慌ただしい日常。
そこには幸せや不幸せといったナヨナヨとした概念が入り込む余地はない。

事業が軌道に乗っては、自らの愚行でフイにしてしまう柳吉は、ともすれば成功を拒否しているようにも見える。
そしてそんな柳吉との生活を選んだ蝶子も同じ穴の狢である。
まあ蝶子の自殺未遂のくだりは、猛烈に蝶子に肩入れして読んだが。

自分勝手な人間たちと

ところで、一つ思ったのは、この作品に出てくる登場人物たちが皆、自分勝手、自己中心的に見えるということである。

自分勝手に相手に思い入れを持ち、そこに情が生まれる。
自己中はいけない、と思って生きてきた。
しかし人間なんてものは、みんな自己中心的なものかもしれない。
それでもこの作品世界のような関係性は生まれる。
そう思うとなんだか少し気分が軽くなった。

夫婦善哉・怖るべき女 - 無頼派作家の夜 (実業之日本社文庫)