荒戸源次郎監督『赤目四十八瀧心中未遂』【映画感想】
初詣に行ってきた。おみくじ引いた。凶だった。
「願い事 叶い難し」
「健康 心労」
「旅立ち 思いなおせ」
就活生の私。神様はお見通しか?
『赤目四十八瀧心中未遂』
車谷長吉の直木賞受賞作を映画化したもの。
原作は未読。
新年早々引きこもってDVDで見た。
荒戸源次郎監督。2003年公開。
ヒロイン役の寺島しのぶが美しく、そして、醜い。表現力に驚嘆。
男と女の物語である。
居場所のない男と業を背負わされた女。
行き場のない二人の逃避行。
生活が分からない。
主人公の生島に共感できる場面があった。
冒頭、尼崎に流れてきた彼は、アパートで一人、国語辞典を引く。
引いた単語が「生活」。
そこで、生活には二つの意味があることを知る。
一つは、生物としての生。
もう一つは、人間としての社会的な生活。
彼は後者の意味における生活を営んでいないことを自覚する。
私も、人間の生活というものが分からない。
人間の生活とは何か。
食べて、寝て、起きて。
体の欲求を満たして、でもそれだけではいけなくて。
例えば、働いて。
私は人間の生活が分からない。私自身、毎日生きてはいるが、いわゆる「生活」をしているのか、分からない。このような感覚、伝わるだろうか。私の文章力では伝わらないだろう。
だから、ぜひ、この映画を見てほしい。
人間の生活が分からない男の生活がこの映画にはある。以下、生活という視点で勝手に映画を解釈。
この映画は「何故」という疑問に答えてはくれない。
何故、主人公は東京から尼崎に流れてきたのか。
何故、大学を中退したのか。
何故、風呂なしトイレ共同のアパートで、臓物を捌くことになったのか。
彼は何から逃げているのか。
何を求めているのか。
説明はない。示されるのは、彼がなんとか毎日をやり過ごす様子である。
そして決して「アマ」という場に馴染むことのできない現実である。そこで彼は徹底して余所者であった。彼自身も、アパートの住人も無言のうちにそれを知っている。
しかし「アマ」という場で彼は呼吸をし生きている。
「アマ」という現実に、彼は生活できていないのだ。
そして彼は、アヤと呼ばれる女と共に世界から逃避する。彼女は生活を知っている女であった。
彼女の生活とは、兄の借金のために3000万で博多に売られる未来であった。生活からの逃避のお伴に、彼女は生活を知らない男を選んだ。
二人の逃避行の最終章は美しい。
最後の場所に選んだのは、赤目四十八瀧。
彼女と彼女の兄にとっては悲しい思い出の場所でもあった。
夏。
山の緑に、清涼な川の流れ。蝉の声と川のせせらぎ。
映像はひたすら美しい。生活臭がないからだ。
幻想的ですらある自然。在るのは死の予感。