『100万円と苦虫女』 タナダユキ監督
100万円というのはキリのよい数字だ。
昔見ていたテレビ番組でも課題に成功した時の報奨金は100万円だったし、尊敬する元バイト先の店長も「100万円は手元に貯めておけ」と言っていた。
100万円あれば次の手が打てる。
スズコの100万円戦略
本映画の主人公スズコも、百万円貯めて新たな地へ繰り出すという戦略をとる。
スズコは不本意かつ不条理ながらも前科持ちとなってしまう。
そこでスズコの採った戦略が上記の、バイトでもして100万円貯めて、そして誰もスズコのことを知らない新たな土地へ繰り出し、そこでまた100万円を貯めるというものだ。
自分探しの旅ではない。
自分を捨てる旅である。
スズコの生き方戦略について考える。
私はスズコのように生きられるかどうか。
――否
スズコの生き方にあこがれるか。
――あこがれる
スズコの生き方はとても自由である。
そして自由な生き方にあこがれる私がいる。
でも、私はスズコのようには生きられない。
自由に生きられない私
それはシガラミというクダラナイものにガンジガラメなっているからであり、スズコ生き方は若いからこそ通用するものだと、やりもしない癖に諦めているからである。
でも、ありもしない将来を慮って生きることに意味はあるのかとも思う。
答えはまだ出せない。
いつになったら出せるのか。
30代か50代か70代か。
つまりは20代の今、未来に絶望していないわけか。
絶望し、どうなっても良いと割り切ることができれば、自由に生きられるのか。
絶望しきっていない今。まだ来ぬ未来に拘束され、自由に生きるという戦略をとれない、という意味。
よく分からない。
少なくとも自由に生きてはいないと思う。
明日も朝八時半には研究室に行くだろうし。
(自由とはそういうことなのか?)
しかしどのような生き方を選んだところで、人は人と関わって生きるしかない。
この映画のテーマはこれであろう。
誰からも自由であろうとしたスズコも、新たなと土地で新たな人間関係を築かねばならない。
新たな人間関係にガンジガラメになる前にスズコは100万円をためて引っ越していく。
スズコにも、残された者にも、痛みが残る。
人間は、ガンジガラメで不自由な関係性の中にしか生きることができないのかもしれない。
現代日本では、一昔前に比べて、個々人は自由になった。
住む場所も仕事も自分で選ぶことができる。
でも人は一人では生きていけないという事実は変わらない。
不自由な中に幸せを感じられるような関係性を築けるか。
スズコの直面した課題は、私の前にも立ちはだかっている。
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