読書録 地方生活の日々と読書

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たぶん再読 中島らも『今夜、すべてのバーで』

アル中小説。

中島らも『今夜、すべてのバーで』を一言で言えばこうなる。
35歳の主人公が、アルコール依存症によって入院、治療の末、退院するまでの物語である。
面白いのは、読み通すことでアルコール依存症の知識が一通り身につくことだ。
何しろ主人公、「35歳で死ぬ」と予言されてから「我が身と照らし合わせるために」、アル中に関する資料を漁るのだ。
彼は調べた結果を肩ひじ張らず、分かりやすく教えてくれる。
もちろん1991年初版の本なので、治療方法などは現在とは違うだろう。
しかし依存症がどのように進行するのか、アルコール依存症と急性アルコール中毒は何が違うのかといった、酒を飲むうえでは必須の知識を得ることができる。
あとついでといってはなんだが、薬物依存症に関するエピソードも挿入されている。

酒への依存と本への依存

中でも一番なるほどと思ったのは酒好きとアル中の違いを教えてくれる場面。
酒好きがアル中になるのではないらしい。

アル中になるのは、酒を「道具」として考える人間だ。おれもまさにそうだった。この世からどこか別の所へ運ばれていくためのツール、薬理としてのアルコールを選んだ人間がアル中になる。

そして上記はすべての依存症に言えるらしい。
で、私はここでドキッとした。

「この世から別の所へ運ばれていくためのツール」として私は酒を飲まない。
しかし、私は本を「「道具」として考え」、「この世からどこか別の所へ運ばれていくためのツール」と思ってはいまいか。

私は本に依存しているのか。
依存しているかもしれない。
純粋な楽しみ読書が、いつの間にか、現実逃避するための読書になってはいまいか。
寝る「ため」の一杯、ナイトキャップと同様、

「手段」が「目的」にすりかわっている。

のではないだろうか。

本書では依存症の治療法として、抗酒剤やカウンセリング、断酒会が示されている。
依存症患者に残された道は、酒を飲まないという選択肢だけである。
さて、私が断読書出来るだろうか。
出来ない。
本格的に読書が現実逃避の手段になり下がってしまう前に、本との関係を見直さなければならない。
つまりはただただ単純に、本を楽しまなければならない。
こどもの頃のように。
昔は本の有益性など考えたこともなかったし、現実から目を反らすための読書でもなかった。
本を読めば読むほど、世界は広がり、現実は豊かになった。
読書は現実の世界に楽しみを添える。
現実世界の生活をもっと大事にしていきたい。
読書が好きだと堂々と言えるように。

今夜、すベてのバーで (講談社文庫)

中島らもの長編小説『ガダラの豚』の感想
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