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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

私的自己啓発本解釈と『置かれた場所で咲きなさい』渡辺和子

自己啓発本は好きですか。

私は好きだ。

もちろん自己啓発本といっても様々な顔形を持っている。
軽い新書から3000円以上する単行本。
ライフハックやキャリア論から生活習慣に根付いたもの。
古いところだと論語や各種宗教経典もそうだろう。
新しいところなら、いつでも新刊書店に溢れている。
人類はみんな、なんだかんだ言って自己啓発が好きなのだろう。
巷に溢れるビジネス書だって半分は自己啓発のようなものである。

もちろんその不毛さも十分承知している。
『キャリアポルノは人生の無駄だ』という自己啓発本だって読んでいる。
それでも馬鹿馬鹿しいと一蹴しないのは、ある種の有用性をそれらの本に認めているからだ。

私的自己啓発本解釈

誰かが自己啓発本を栄養ドリンクに見立てているのを読んだことがある。
この比喩は秀逸だ。
まさしく自己啓発本は栄養ドリンクである。
栄養ドリンクが真に体を支える血肉となることはない。
効いたような気がしても、その効果の半分以上はプラシーボ効果であろう。
それでも徹夜の実験のお伴に、レッドブルやらリポDやらは欠かせない。
カフェインによる一瞬の元気のマヤカシに救われることもある。
これを飲んであと一時間頑張ろうと思う。

自己啓発本も同じだ。
いくら冊数を重ねても、自己啓発本が自らの人生の糧になるとは正直思えない。
自己啓発本に没頭する時間がただの現実逃避であることも分かっている。
それでもその1時間の読書時間に救われることもある。
明日からまた頑張るか、と気分が晴れることもある。
それで十分だ。
書店に並ぶ自己啓発本がどれもこれもたいして代わり映えしないのも、きっと私たち読者がそれを望んでいないからだろう。
リポDの味が毎月変わっても戸惑ってしまう。
ここまで言うのは無理があるか。

本題。

以上、自己啓発本を買ってしまった自分への言いわけではない。

昨年ごろの話。
一冊の自己啓発本が、近所の書店の売り上げトップ10棚に並んでいた。
結構長い間、その本はそこに鎮座していた。
買う気はなかったが、つい先日、魔がさした。
『置かれた場所で咲きなさい』
著者は、85歳のシスターである。
題名だけ見て仏教系の本かと思っていたら、キリスト教系だった。
しかし読み進めて行くうちに、宗教なんて関係ないと思った。
苦手な人は出てくる「神」を近所の氏神さんぐらいに思えば良い。
それも面倒ならば読み飛ばせばよい。
75歳のご老人が、その長い人生を咀嚼して、この世に向けた言葉である。
20歳過ぎから宗教を持ち、それから50年以上生きた人間の世界観を知る、というスタンスで読んでもそれなりに面白い。
それに何よりも書かれている内容は、信教の有無には関係ない。
読んでいるうちに、この人は、もしキリスト教以外の宗教を信じていたとしても、結局同じような本を書くだろうなと思った。
あらゆる宗教は、最終的に目指す場所は違っても、現世では同じような行動に収束するのだろうか。

内容は特段変わったことは書かれていない。
2-3ページのエッセイに、まとめのお言葉という、よくある構成でもある。
なるほどな、と思いつつ軽く読み進めることができる。
と、思っていたら、とある章で読む手が止まった。

それはフランクルをとりあげた項目だった

フランクル、もちろん夜と霧の作者のヴィクター・フランクルだ。
彼を取りあげていることからも著者がキリスト教に囚われていないことが分かる。
が、言いたいのはそんなことじゃない。

希望や生きる意味について書かれた項目である。

このように、自分の死にも苦しみにも、意味を持たせた時にのみ、苦悩に満ちた収容所の生活を耐え忍ぶことができ、死を甘んじて受け入れる覚悟ができたというのです。     (P90)

人生に意味はないと思っていた。
いや、今でも思っている。
「意味のない人生をどう生きるか」という問いが、目下考えるべき問題だと認識していた。

ほとんどの自己啓発書には「人生に意味がある」と書かれている。
著者の「意味がないからこそ、自ら意味を与える」という主張とは真逆である。
人生に恣意的に意味を与える、という斬新さに考え込んでしまった。
どのような意味を与えるべきか、答えはもちろん、すぐには出ない。

栄養ドリンクの効用

この本を読み始めた時、このような示唆を得ることをもちろん予測していなかった。
もちろん、以前読んだ自己啓発本にも同じようなことが書かれていた可能性はある。
ただ今回たまたま引っかかっただけかもしれない。
しかしそれを含めての縁だろう。
私の中のタイミングと本の主張が、運よく噛み合ったのだ。

再び栄養ドリンクに例えよう。
今回のような出会いは、栄養ドリンクで乗り切った実験で、思いもよらぬ好結果を得ることができたようなものだ。
栄養ドリンクがなくとも、同じ結果は得られたかもしれない。
けれども栄養ドリンクを飲んだことが無駄だったとは、もう、思わない。

読書録

『置かれた場所で咲きなさい』
著者:渡辺和子
出版社:幻冬社
出版年:2012年
置かれた場所で咲きなさい

おまけ

本書には、栄養ドリンク的ではない章もこっそりと潜んでいる。
著者の父は2・26事件によって亡くなっている。
その時の様子、自宅を銃撃戦場として9歳の女の子が見た2・26は、凡庸な栄養ドリンクではない。
ときに、個人の経験は壮大な思想よりも雄弁な沈黙を持つ。