読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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『いますぐ書け、の文章法』堀井憲一郎

自意識過剰なため、良い文章を書きたいと常々思っている。
なので文章の書き方的な本をみると、ついつい買ってしまう。
そのようにして買った本の一つが堀井憲一郎『いますぐ書け、の文章法』
さっそく怒られた。

文章を書くからには、きちんとした文章を書きたい。
 (略)
問題は、この考えにある。 p13

そんな作者の教えはシンプルだ。
「文章はサービスである=本気で読者の立場に立とう」、これだけだ。
プロはきちんとした文章を書くために文章を書いているわけではない。
読者に読んでもらうため、伝えるために書いているのだ。
本気で読者の立場に立つためには、具体的な読者を想定する必要がある。
作者の場合、「28歳のよく笑う女性:ユリエちゃん」らしい。
私は今、この文章を読んで下さるブロガーの皆さんの顔を必死に思い浮かべようとしている。
なかなか上手くいかない。
読んでくださる皆さん、申し訳ない。
でもこうして読んでいただくからには、「自己表現」といって自己満足に浸るだけの文章は書きたくない、なんて思っている。

さらに著者は痛いところを突いてくる。

文章は、あくまで個人から発するものである。 p65

そうなのだ。
文章は個人的なものなのだ。
分かってはいる。けれども「個」を晒すのは怖い。
私がブログという手段を用いて文章を発表しているのは、私という「個」を晒したくないからだ。
でも文章を書くという手段を用いる以上「公」の隠れ蓑にくるまっているわけにはいかない。
隠れ蓑の中から立派な正論を叫んだところで、誰も聞いてはくれない。
「文章をかくこと」は、「自分を晒したくない」ということを諦めることなのだ。
諦めて、晒して、傷つくことなのだ。

「人は他人の意見なんか聞きたくない。聞きたいのは他人のお話だけである」 p83

いや、立派な意見を書き出してみたけど、怖いけどね。
怖いよ、傷つくことは。
傷つきたくなければ、液晶の向こうで黙っていればいいのは分かるのだけど。
でも、こうやってブログを書くのは楽しいのです。

いますぐ書け、の文章法

そして作者は言う「いますぐ書け」
書く、という行為は身体的なものである。
だから体力が必要。
いつか時間ができたら、では遅い。
人間は毎日老いていく。
そして文章を面白くするのは直観と勢いであるという。
両者とも体に宿るものである。
頭で事前に考えて書いた文章はつまらない、と作者は言いきる。

文章を書き始めると、書き手には制御できない。
文章は暴走する。             p149

書き手には制御できない運動性。
着地点が見えないからこそ面白い。
でもその面白さは頭で考えていても分からない。
体を使って書いて、初めて分かるものなのだ。
書いて書いて、とにかく書いて。
文章の持つ運動性に体を慣れさせる。
「書く」という行為を体に覚え込ませることでしか、文章を書けるようにはならない。
文章を書くということは「スポーツ」なのである。

読書録

『いますぐ書け、の文章法』
著者:堀井憲一郎
出版社:筑摩書房
出版年:2011年
いますぐ書け、の文章法 (ちくま新書)