読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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週末、図書館へ行った

ここ2年ほど、図書館へは週1回ペースで通っている。
行くのは大抵週末であり、借りられる分だけ借り、一週間かけてせっせと読む。
図書館へ行く時の気分は常に同じではない。
小説を読みたい気分か、新書を読みたい気分か、大きな本を読みたい気分か、荷物はできるだけ軽くしたい気分か、など。
本を借りるときはこのような気分が、本選びに大きく影響する。
困るのは数日後。小説ばっかり借りてきたはいいが、小説ではなくノンフィクションを読みたい気分が強くなったりする時だ。
そんな時は週の半ばで図書館へ行くか、通学路にある本屋でついつい本を購入してしまう。

週末、図書館へと行った。
しかし実は、ここのところ、まったく本を読む気分にならない。
先週は図書館へ行くのをさぼってしまった。
通っている図書館の貸出期間は2週間なので、本を読む気分ではなくとも今週こそは行かなければならなかった。
で、行った。

小説を読む気分ではない。
文学なんてもっての他。
物語の世界はひたすら遠い。

自分の中では異常事態だ。
もちろん本を借りずに図書館を出る選択肢もあった。
けれども何晩か寝て起きたら、再び読書欲は湧いてくるかもしれない。
それに平常状態、すなわち、図書館を楽しめる自分に戻りたいという思いもあった。
現実と地続きなものなら読めるだろうと、新書やエッセイの棚を覗く。
普段の私であれば面白そうとすぐ手に取るであろう魅力的なタイトルが並んでいる。
なかなか心は動かされない。
それでも何冊か選びとり、図書館を後にした。

楽しいはずの図書館での本選びが楽しくなかった。
楽しかったことなんてあったのか、と疑いたくなるほど。
借りた本を鞄に仕舞いながら思った。
何事も楽しめる人間と、なんにも楽しめない人間。
もしも人間がこの二つに分けられるとしたら、自分は確実に後者だ。
つまらない、楽しくない、将来が不安だ、不安を解消するためにも今は耐えなければ、と思いながら歳をとっていくのだろう。

こんな気分だったからだろう。
小松左京『宇宙にとって人間とは何か』といった普段の自分では手に取らないであろう本を借りていた。
これもきっと縁なのだろう。
少しずつでも読んでいこうと思う。