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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

それでも人は宇宙を目指す 『ゼロ・グラビティ』

アルフォンソ・キュアロン監督『ゼロ・グラビティを見てきた。

今更、と言うなかれ。
日本において、物事は東京および東京を含む関東圏を基準として語られることが多い。
日本の人口の四分の一は関東圏に集中しているとも言うし、ある程度はしょうがないことなのだろう。
がしかし。
関東や大都市だけが日本ではない。
何かの本に「東京生まれの若者は世界の大都市へ行き見識を広めるべし」との主張があったが、むしろ日本の地方で暮し、大都会だけが日本ではないことを知るべきではないか。

映画にしてもそうだ。
わが田舎町には映画館はひとつしかないし、次に近い映画館のある町までには車で2時間か電車で3時間ほどかかる。
もちろんひとつしかない映画館も、シネコンのようなものではない。
シアター数が少ないので上映される映画も少ない。
ゼロ・グラビティのように都会の公開日から遅れて公開される映画も多い。
上映期間が一週間未満で見逃してしまった映画もある。

しかしもちろん、私はわが町に映画館があるだけでも満足である。
それに上映期間が遅れることには利点もある。
それはある程度の評判を聞いてから見る映画を選べることだ。
本映画は、ネット上で「絶対3Dでみるべし」との評価を観て、意を決して300円の3D上乗せ代を支払った。

ということで映画館に行ってきた。

ちなみに上映していたのは吹き替えでした。
長かったような短かったような1時間40分。
すごい、という言葉しか出てこない。
圧倒的なビジュアル。
宇宙すごい。地球すごい。オーロラすごい。
3D効果は思ったほどでも…かな。
ストーリーは、息もつかせぬパニックの連続。
宇宙で事故り、如何に地球まで無事に戻るか。
人間関係はほとんどない。
が、孤独感を感じさせられるわけでもない。
仲良くなったり、悩んだりする前に何か問題が起こる。
トラブルに次ぐトラブルで映画は進んでいく。
そしてトラブルを支える細部。
細部に神が宿るとは良く言ったものだ。
細部にこだわった映像と音響効果によって立ち上がる臨場感は凄まじい。
映画館でこその満足感を得ることができた。

宇宙こわい。

それでもトラブルの合間に、宇宙に出るとはどういうことか、少し考えた。
ものすごく恐ろしいことではないか。
宇宙飛行士たちはどのような気持ちでスペースシャトルに乗り込んだのだろうか。
死を覚悟して。
言葉にすると簡単だが、自らの死を覚悟するのは難しい。
私も自らの死を覚悟して、日々を生きたいとは思うのだけど、なかなかできない。
本作にも生きる意味を問うシーンがある。
私はその問いの前で、何も言えない。
私は絶対に宇宙には行けない。
これからは宇宙飛行士へのインタビューなどを気楽な気持ちでは聞けないと思う。
宇宙飛行士という響きの無邪気さに隠れてしまいがちだが、彼らに突きつけられる現実は重い。

それでも人は宇宙を目指し続ける。
宇宙へのあこがれ。
未知への欲望。
神様、あるいは、遺伝子の生存戦略の帰結は、地球の重力すらも振り切るだけの好奇心を人間に与えた。
それが良いことか悪いことかは分からない。
ただ言えることは、宇宙を目指し続けた先人たちの勇気なくして、この映画は成り立たなかっただろうということだ。

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