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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

就活、上京、『東京難民』

観た映画 就活関係

東京から失礼します。

就職活動で東京に来ている。
1泊2日で3万5千円ほどかけての説明会参加。
有楽町のサンマルクカフェにて本稿の下書きをしていたところ、隣の席の学生風の男がコーヒーを半分も残して席を立っていった……トウキョウ怖い……もったいないコーヒー

で、せっかく東京にきたので、説明会終了後、我が田舎町ではやっていない映画を見てきた。
『東京難民』佐々部清監督
ない内定=このままでは来年無職の私にはぴったりの映画です。
原作は福澤徹三の同名の小説。

ネタばれ『東京難民』

主人公オサムが川原で転がされているシーンで映画は幕を開ける。
全身殴打され、酷い姿である。
自分はもう終わっている、というオサム。どうしてこうなったのか。

物語は半年前にさかのぼる。
彼は普通の大学生だった。部屋の様子を見るに、どちらかというと金銭に余裕のある私大生といった感じ。
しかしある日突然、彼は大学生の身分を剥奪される。
学費の未納による除籍。
唯一の肉親である父親がフィリピン人女性に入れ込んだあげく、蒸発したのだった。
仕送りも止まり、家賃も払えなくなる。
家を追い出されるまで、あっと言う間だった。
ほとんど全ての持ち物を失った彼は、ネットカフェに寝泊まりするようになる。
しかし、転落はまだ、始まったばかりだ。
チラシ配り、ティッシュ配り、治験、ホスト、土工、そして、冒頭のシーンに繋がる。
物語は終わらない。
怪我を負ったオサムは多摩川のホームレスに拾われる。
アルミ缶拾い、拾った雑誌の転売。
終わったはずのオサムは生き延びる。

「生きていても、いいですか」

転落を通し、しかし、オサムは一人ではない。
「本当の友達」や恋人も得る。
けれども事は簡単には運ばない。
オサムは、友達と友達の彼女を救おうとし、結果として、恋人を風俗に売ってしまった。
どうしようもない。友達も結局は、救えなかった。

転落から半年、オサムはもはや、無知ではない。
社会の、人生の、どうしようもなさを知っている。
それでも、彼は生きる道を選択した。
蒸発した父親を探す。
そう宣言し、多摩川を去っていくオサムの後ろ姿で幕は下りる。

就活のモチベーションに

怖い映画である。身につまされる。
今の私が、脆弱な縁の上に成り立っていることを改めて思い知った。
同時に血縁者のいることの強さ、帰る家があることの強さを。
しかしそれは、もしも、家族という日本国最後のセーフティーネットがなければ、どうしようもなく落ちてしまうことを意味する。
明日の自分は、オサムである可能性がある。

映画はなんとなくハッピーエンド風に終わる。
私はまったくハッピーエンドな気はしなかった。
オサムは生きる希望の他は、何もかもを失ったままである。
本当にこれでいいのだろうか。
もっと物質的なハッピーエンドはないのだろうか。
この映画を見て、無職で帰る家がなくともなんとかなるから、明日からまた気楽に生きよう、だなんて思う人はいないだろう。
今の私は、とにかく就職しないと、という焦りばかりが心を占めている。
この映画は、就活のモチベーションをあげるための劇薬である。
でもなんだか、このモチベーションは、どこか健全ではない気がする。
自分が甘いのか。
それとも、このようなモチベーションの根底には、無職=社会の底辺という差別意識があるからだろうか。
オサムのようにならないために就職しよう、という自分の意識に、浅ましさを感じてしまう。
では、どうすればいいのか。
分からない。
小心者の自分は、ただひたすらに、「エントリー」のボタンをクリックする。

東京難民

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