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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

北森鴻を知っていますか 『孔雀狂想曲』再読

私はラノベ歴史小説を読まない。
何故ならラノベ歴史小説の大半がシリーズものだからだ。
私はシリーズものの小説に手を出さないよう自制しつつ読書生活を送っている。
読めば面白いことは分かっている。
そして私は、一巻目を読めば、必ず二巻目も読むであろう。
シリーズ物をシリーズとして楽しむことはいいことではないか。

何が問題か。

時間が有限であることだ。

持ち時間は短い

毎週通い見慣れているはずの図書館の棚が、妙に魅力的にみえる日がある。
背表紙のタイトルが輝いてみえる。
世の中には、これほどまでに、面白そうな本が溢れているのかと思う。
夢中で本棚を眺めまわすうちに、ふと、自分の持ち時間に気づく。
自分は決して、これらすべての本を読むことはない。
知られていない傑作が、この本の海の中にあったとしても、その本と私が出会える確立は高いとは言えないだろう。

この確立を高めるにはどうすればよいのか。

出版年を考慮し本を選ぶ。
レーベルで選ぶ。
書評を参考にする。
とにかく、いろんな作者に手を出してみる。

自らの選書センスを信じて本を選ぶのは楽しい。
その本が面白かったら、自分がものすごく幸福な人間であるように思える。
面白くなかったときも、それはそれで勉強になる。

それでも私は北森鴻を読む

その一方で、どうやら私には、好きになった作者の本をひたすらに追ってしまうような所がある。偏愛。
作者に良し悪しはない、作品の良し悪いがあるだけだとは分かっている。
それでも新作を追ってしまう作者がいる。
面白い本に出会うには新しい本を読まなければ始まらないが、ついつい再読してしまう本がある。

とある本を再読したい気分になるとき。
「久しぶりに会いたい」と思っている。
本の主人公に、あるいは、作品世界に。まったく、不思議な感覚だとは思う。
けれどもそれは甘美で幸せな感覚だ。

そんなこんなで再読を繰り返している作者の作品群がある。
例えば、北森鴻
もう十年ほどファンである。なので語れば長くなる。
最初に読んだのは小学生の高学年のときだった。
推理小説アンソロジーの中に入っていた「バッド テイスト トレイン」だった。
電車内で食べる弁当をめぐるミステリーである。
最後の捨て台詞が素晴らしく、印象に残った。駅弁に詳しくなれる特典付き。
一年ほど経って、その短編が、連作短編集の中の一編であることを知った。
しかも「バッド テイスト トレイン」は、連作短編集の中で作中作の役割を担っていた。
部分が全体にリンクする感覚の快感。
一気にファンになった。
シリーズもの、非シリーズもの、短編、長編、構わず読んだ。
一番のお気に入りは、蓮丈那智のフィールドノートシリーズ

昨日のことである。
珍しいことに、北森鴻の連作短編のあるシリーズが急に読みたくなった。
『孔雀狂想曲』
古道具屋雅蘭堂を舞台に、店主・越名がモノと人をめぐる事件を解決していく軽快なミステリー集である。
で、読んでいた。
やっぱり、おもしろい。
推理小説の再読なんてつまらない。
そう思っていた時期もあった。
が、面白い本は何度読んでも面白い。
アクロイド殺しの犯人を知っていたって、語り手であるシェパード先生の魅力は薄れない。

面白い本に出会うために、書店や図書館をめぐるのも良い。
だけど実家の本棚の奥にだって、かつて楽しんだ良本が眠っているのだ。
たまには、彼らと会ってもいい。

孔雀狂想曲