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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

美しいものには毒がある 『偏愛文学館』倉橋由美子

好き嫌いという次元を超越して凄いと感嘆するしかない作家はそんなに多くない。
倉橋由美子は私の貧弱な読書録の中でも一段と際立った場所で存在感を放っている。

彼女の物語は読むたびに圧倒させられる。既存の小説のかくあるべしという規格から二回り、三回りもはみ出している。
最近の、崩した日本語に、似たような筋書きやテーマ、表層だけバラエティーに富んだキャラクターで量産された小説群とは一線を画している。新たな物語の地平を開いた、といえば大げさだろうか。日本に作家や作家志望者は数多くいるが『城の中の城』のような物語をつくれる度胸や構成力を持つ人間は二人といまい。
新刊書店で倉橋由美子の本がほとんど並んでいないことは、日本読書界の大損失だと思う。(我が田舎町の書店では『聖少女』ぐらいしか見ない)

ともかく、特異的な物語を生み出す作家であると思う。
となればそんな作家の糧となった小説たちも特異なものだろう。特異な作家がどのような目で他者の作品を愛でるのか。
倉橋由美子は随筆をあまり書かない、という話を以前どこかで読んだことがあった。
なのでこの本『偏愛文学館』を見つけた時は少し驚いた。もちろんすぐに手に取る。

倉橋由美子の読書エッセイ

やはり他の読書エッセイとは一味違う。
取りあげている本は、夏目漱石夢十夜トーマス・マン魔の山といった比較的良く耳にするものから、ジュリアン・グラッグ『アルゴールの城にて』といった今まで私が知らなかった作者のものまで(もちろん私が知らなかっただけなので、ものすごく有名な作品かもしれない)幅広い。
中にはマルセル・シュオブ『架空の伝記』といった19世紀の絶版本まで。著者も入手困難と断っている。
私の知らない本はまだまだ世界に(あるいは本屋の棚や図書館の隅に)埋もれている。

有毒なエッセイ

そして、ところどころ挟まれたコメントがとても自由で、容赦ない。

世の中には、好きでなくても読んでなくても、建前上これは立派だとしておかなければ具合が悪いような名作(実は単に有名な作品のこと)や大作(実は単に長大な作品のこと)がたくさんあります。

毒、と言ってしまえばそれまでだが、その毒はとても上等な毒だ。毒の裏には著者を貫く美意識がある。
私たちが住む世界は毒のない世界、無毒化された世界である。
誰もが傷つくことを極端に恐れ、ついには、誰かを傷つけることも極端に恐れるようになった。
嫌いなもの、美しくないものを、嫌い、と言えない世界は、安全だがつまらない。
倉橋由美子の毒は刺激的だ。
人によっては腹を下してしまうかもしれない。
しかし舌がしびれるような美味は一度食べると病みつきになる。
新たな味覚の開発には覚悟が必要だ。

傷つきたくないというだけでは、彼女のような自由な想像はできないのだと思う。
とりあえず私はこのブログで、いかにマイナーでアマゾンのレビューの星が少なくとも、好きな本は好きと言っていこうと思った。

読書録

『偏愛文学館』
著者:倉橋由美子
出版社:講談社
出版年:2005年
偏愛文学館??