読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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読書録的雑記

駄目になりそうな日々が続いている。
如何に生きるべきか、との問いが頭を離れない。

駄目になりそう、というのは私自身の主観であり、客観的に見れば単なるモラトリアムに浸っている大学生である。
このような内面を友人に話すことはない。
きっと誰もが思っているような、普遍的で詰まらない悩みだ。
でも、だから、どうすればいいのか分からない。
健康な身体を持て余し、私は結局、本を開く。

不定期な日々が続き、図書館に行けていない。
本の補充は、出先で寄る本屋からということが多い。
新大阪駅でも、名古屋駅でも、東京駅でも本を買った。
東京駅の三省堂で文庫本を買うと、「KIRIN Cafe Deli」とコラボした良い感じの紙カバーをかけてくれた。
紙質もつるつるしていて、気持ちが良い。嬉しい。

新書を読んで、生まれて初めて著者にファンレターを出したいと思った。
読んだ本は濱田武士『日本漁業の真実』。
前著『漁業と震災』を読んだ時も思ったが、この作者は誠実であると思う。
とは言うものの、誠実な作者と不誠実な作者の書く著作の違いを考えたが、良く分からない。
少なくとも、内容の薄い新書を量産する「専門家」たちとは一線を画しているとは思うのだけれど。

就職活動中、実家に寄った。
高校時代に通っていた本屋へ行った。でも今回は参考書コーナーには寄らない。
代わりに寄った単行本のコーナーに、大学に入ってから好きになったみすず書房の本の棚があることに気がついた。
上記『漁業と震災』もみすず書房の本だ。あと何かと読み返すことが多い『夜と霧』も。
その本屋をちょっと見直した。

本屋へ行くと、その日の気分が分かる。
読みたい本がたくさんある時と、何を読んだらよいのか分からず途方に暮れるときがある。
読みたい本がありすぎて、泣く泣く一冊だけを選びレジに向かう時は幸せだ。
一方で、何を読むべきか、古典名作か、現代社会を切る選書か、それとも詩集か、と本の背表紙を縋るように見つめ、ひたすら歩きまわる時の絶望感。
絶望、強い言葉だが、しかし、本屋をあてなく歩き回る私は確かに絶望している。
その絶望は、自らの人生の前で自分がどの道を歩めばよいのか全く分からないことに気付いたときの絶望と似ている。

私は本に何を求めているのだろう。

棚と棚の間を歩きながら考えた。
ふと、自己啓発書が並ぶ棚の前で足をとめた。今の自分を肯定してくれるのではないか、そう思えるような魅惑的な題名が目を惹く。
一旦、手に取りパラパラめくる。「自殺」「うつ」「自己肯定」「未来の自分」

私を救って下さい、と祈るようにして手にとる本が自己啓発本だとなんだか悲しい。

一度手に取った本を棚に戻した。

何を読むべきか、の問いの答えは出ない。だから、読みたい本を読もう。
無理やりに気持ちを前に向けてみる。
前から読みたいと思っていた作家の本を探してみる。無い。
久しぶりにミステリでも買ってみようかと思う。
結局、一番面白そうに思えたデイヴィット・ベニオフ著『卵をめぐる祖父の戦争』を購入。

どのように生きるべきか分からない。だから、好きなように生きよう。
本選びのように人生を選べればいいのに。
好きなジャンルが明確で、好きな人がいて、これを選べば間違いないという基準があればいいのに。
愚痴っていても仕方がない。
古典にも新刊だった頃があったように、死者も私たち悩める生者だった頃があるのだ。
時間は待ってくれない。
今日も頑張れなかった。
駄目になりそうな日々が続いている。
私は結局、本を開く。

日本漁業の真実 (ちくま新書)