読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

今流行りのアドラーを読んでみた!

どうやら世間ではアドラー心理学が流行っているようだ。

きっかけとなったと思われる岸見一郎著『嫌われる勇気』は我が田舎町の本屋でも、入口付近に山積みされている。
6月1日16時現在、『嫌われる勇気』のアマゾンのカスタマーレビュー294件評価は5つ星だ。

アドラーフロイトユングと並ぶ心理学の巨頭であり、自己啓発の元祖などと評判高い、らしい。
『嫌われる勇気』には「自由とは他者から嫌われる勇気である」(by伊坂幸太郎)との文字も踊り、なるほど自己啓発書っぽい。


私自身は売れてる本は読む気がしないという天の邪鬼なので、『嫌われる勇気』自体は10年くらいたってからか、古本屋で安く売られているのを見つけた時に読もうと思う。(以前ブログで勧めて頂いたのでいつかは読みます)


代わりにアルフレッド・アドラーの名前で出版されている本を2冊とアドラーの解説として岸見先生以外の方が書かれた本を一冊読んだ。岸見先生の本を避けたのは、私が読んだ版のアドラー本の訳者が岸見先生自身であり、解説も書かれているからである。できるだけ複数の視点を持ちたかった。バイアスも少ない方がよい。まあ、だったら原書で読めよ、という話なのだが。

読んだ本は以下。

アドラーセレクション『個人心理学講義』アルフレッド・アドラー 岸見一郎訳
アドラーセレクション『人間知の心理学』アルフレッド・アドラー 岸見一郎訳
『初めてのアドラー心理学』アン・フーバー ジェレミー・ホルフォード 鈴木義也訳

個人心理学講義―生きることの科学 (アドラー・セレクション)人間知の心理学―アドラー・セレクション
初めてのアドラー心理学



実際にアドラーを読む前のアドラー心理学のイメージは以下である。
『嫌われる勇気』の書評やネット上のアドラーの評判をいくつか読み、勝手に想像したことである。

本当に自由になるためには、まずは自分を見つめ、他者に嫌われることを恐れず、自らのしたいようにしましょう。

こんな感じだった。

実際に読んでみた。


想像と違う……

読んでみた時、けっこうな違和感を覚えた。
選んだ本が悪かったという可能性は高い。アドラーの著作のうち、私は2冊しか読んでいない。
だが、その2冊からは、自己啓発書、というイメージは得られなかった。

では、何か。
教育論じゃないか、と思った。

(google scholarで「アドラー」と入れて、出てくる論文も教育論がほとんどだった。日本語で「アドラー」と入れたからか)

まとめてみる。

まずアドラー心理学アドラーの言う「個人心理学」の目標は「社会適応」である。

そして人生のタスクとして「仕事・友情(交友)・親密さ(愛と結婚)」をあげる。
ちなみにアドラーは昔から友人に囲まれていたタイプで、医者として社会のために働き、結婚も恋愛結婚だったらしい。リア充ではないか。


アドラーが重視するのは、幼児期までに形成された「原型」、それが長じての「ライフスタイル」である。
ライフスタイルとは何か。上手くまとめられないが、対人関係における主観のパターンのようなものである。
『初めてのアドラー心理学』によれば、「本質的な人格」「人生に対処するスタイル」とある。
で、ライフスタイルを知るためには、「きょうだい間での出生順」「早期回想(幼児期の記憶を思い出す)」を考える。あととか。

この原型は人間めったなことでは変わらない。(ライフスタイルは可変?)
原型、ライフスタイルが社会的に適応していれば問題はない。適応していないとき、人は例えば、引きこもりや犯罪者や精神病になるとする。彼は自殺者もこの範疇に入れる。
アドラーは言う。

人間の精神についての知識から、まったく自発的に義務と課題が生じてくる。それは、端的にいえば、人間の原型(ライフスタイル)が生きるために適当でないことが明らかである時に、それを破壊し、その人がそれを持ってあちらこちらをさまよっている誤った視点を取り除くことである。そして、この人の共生と幸福の可能性のためによりよく適している視点を持つことを進めるっことであり、思惟経済、あるいは不遜でないためにいうならば、ライフスタイル、ただし共同体感覚が際だった役割を果たしているようなライフスタイルを提示することである。  (『人間知の心理学』p20)

そしてすべての行動は原型から発せられる「目的」を達するために行われるとする。「目的論」というやつだ。

「お腹痛いから学校行けない」ではなく、「学校では優越感が得られないから、学校行きたくない。学校行きたくないから、お腹痛い。家で親に注目され、大事にされたいし」ということだ。目的論は、結構、厳しい。

精神生活のすべての現象は、念頭に浮かぶ目標のための準備として理解されるべきである。  (『人間知の心理学』 p99)

ということで、アドラーは、子供の原型を望ましいライフスタイルへ導くために教育を重視する。
特に学校教育を重要としたようだ。

即ち、学校は、批判したり、罰したりしてはならず、子どもたちの共同体感覚を陶冶し、教育し、発達させなければならない。  (『個人心理学講義』p108)

ここでもまた、問題を引き起こすのは、器官劣等性[そのもの]ではなく、それがもたらす社会不適応であることを思い出さなければならない。[しかし]ここにこそ、教育の可能性がある。人を社会的に適応するように訓練すれば、器官劣等性は、不利なものであるどころか、資産である。  (『個人心理学講義』p110)

優越感が得られないのが嫌なら、勉強なりスポーツなりを頑張ったり、ボランティアを積極的に行ったりと、劣等感をバネに努力して、社会に貢献できるような大人になれ、と勇気づけるいうことか。
共同体感覚、というものが大事らしい。アドラーは私が思っていたよりも、社会的であることを重視していた。


もちろん甘えの民族である日本人に、アドラーの理論をそのままあてはめるわけにもいくまい。
勇気や公共、自由の概念も、20世紀のウィーン生まれのユダヤ人であるアドラーと現代日本に生きる私たちとは違うのだろうと思う。
彼の叙述の中には、現代科学の知見からすれば非科学的と思われる部分もある。
フロイトも現在では結構否定されているみたいだが。そして現代科学に部分的に否定された所で、フロイトアドラーもその社会への貢献は陰らない。アドラー心理学は21世紀の心理学に脈々と受け継がれている。

上手くまとめられないが……

……要約っぽいことをしてみると、確かに、自己啓発っぽい。
が、アドラーの著作二編を読んでいるときは、そんな感じがしなかった。
心理学、というだけあって人を理解することに重きを置いているからだろうか。
本書に具体例は多い。

○○という症例の人がいて、彼は兄弟姉妹が~で、早期回想は~だった。このことから彼は~というライフスタイルであり、~という目標を達成するために○○という行動をとっていたのだ。

という感じである。
が、私が知りたいのは、どのようにすればよいのか、という解決策である。
彼の著作には、解決策はさりげなく、抽象的にしか書かれていない。
多くの自己啓発書とはこの部分が異なると思われる。
自己啓発書は、解決法、~のために~しなさい、自由になるためには嫌われる勇気を持ちなさい、という部分に最も力を入れている。

ちなみにアドラーのいう抽象的な解決法は、謙虚に自省しなさい、「あらゆる人があらゆることを成し遂げることができる」のだから思い上がるな、諦めるな、ということだ。

引きこもり?二ート?甘えるな。子供っぽい自分を反省して、社会に貢献せい。

という感じである。

そして、いつも他の人の利害よりも、自分の利害に注目し、その結果、共同体感覚を十分に持たないことになる。彼[女]らは、人生の社会的問題に近づくが、その解決には手が届かないと感じる。そこで、救いを求めて、人生の有用でない面へと進んでいくのである。われわれは、これが真の救いではないことを知っているが、彼[女]ら問題を解決せず、他の人に支えられることが救いであると思えるのである。  (『個人心理学講義』 p44)

ぐさり、とくる。
どうして今の日本で流行ってるのだろうと不思議になる。私の読みが甘いのか。それとも、表層的な理解だと、自己責任論に繋がるからか。

アドラー自体はこの心理学は謙虚に慎重に使いなさいと言っている。簡単に他人を理解した気になるなと。

それからネットでは、アドラー心理学=承認欲求の否定」というのをよく見るが、読んだ二冊にはそのような言葉はなかった。と思う。承認欲求=劣等感の裏返しだとすれば、「人間はみんな劣等感を持つ」ということが書いてあるし。「劣等感をどのように解決するか」が重要であり、「劣等感を持つな」というわけではないと読んだ。
別の著作を読みこめばいいのかな。詳しい人、教えてください。

以上、読んでみた感想もどきでした。

次は『人生の意味の心理学』を読みたい。ちなみにこちらはアマゾンレビューわずか1件。
アドラー心理学が流行っているだけで、アドラーは流行っていないのか?
その次はフランクルでも読むか、と思う。意味繋がり。
いつになることやら。