モスクワ国際映画祭最優秀作品賞受賞!桜庭一樹原作映画『私の男』を観てきた!
昨日は7月1日だった。
毎月1日に連続殺人の被害者が発見されるサスペンスといえばアンドレアス・グルーバー『黒のクイーン』。
でも一般的にいえば、毎月1日は映画の日でしょう。
ということで、映画を見てきました。
以前、我が田舎町では『私の男』の上映がないとぼやきましたが、間違いでした。
先週から上映されるようでしたので、観てきました。
消費税増税のあおりをうけて1100円で。
映画『私の男』
原作は文春文庫版『私の男』。桜庭一樹による直木賞受賞作。
単行本と文庫版では、中身が違ったりするのだろうか……
私は2、3年前に単行本で読みました。中途半端に前知識がある状態での鑑賞。
復習として桜庭さんが本書を書いていた頃の読書日記(『少年になり本を買うのだ』)を読み返してから挑みました。
ちなみに私は桜庭一樹読書日記シリーズの大ファン。エッセイなのに、何度読みなおしても発見(読みたくなる本)がある。私の読書バイブル。大好き。
感想。
前知識無しで観たかった。
桜庭ワールドの映画化という意識が強く、どうしても2、3年前に読んだ原作と比べてしまった。
が、別物だと思って観た方が良いと思う。
ストーリーの構成もキャラクターの造形も、私の記憶にある原作とは異なっている。
良い悪いではないが、原作の持つ文学性はやはり映画という媒体では表わすことができないのだろう。
北の海の寒さ、孤独、世間に背を向けて生きようとする幼い意志に寄り添って書き続けていた時期のことを、生々しく思い出しました。原作とは違ったアプローチで、とても面白く拝見しました。 原作者 桜庭一樹 (by映画パンフレット)
だそう。
気になった点を箇条書きしてみる。ネタばれあり。
・花も淳悟も現実の肉体を持ってる。
→映画なんだから当たり前なんだけど、それが一番衝撃的だった。
・二階堂ふみすごい
→主役花役の女優さんの表情、体、雰囲気、なんかもうホントすごい。
・淳悟が普通にいい人っぽい。
→ちょっと道を踏み外してしまったいい人……浅野忠信イケメンだし……根本的なダメさがない気がする。
・名前のインパクトが薄い
→「腐野花」という漢字のインパクトが、音感だけでは伝わらない。
・「生きろ」のエピソードが普通にいい話になっている。
→原作の、血がつながっていないから一緒に死なせてもらえなかった、という方が好き。
・流氷すごい。
→紋別行ってみたい。エンドロールに「流氷指導」なる言葉があった。気になる。
・原作では、最初の殺人がクライマックスだと思い読んだので、映画の時系列順がちょっと気になった。どこで落とすのだろうと思っていた。
→赤い傘のシーンがこうなるとは。
少女小説、あるいは、神話の映画化
小説『私の男』をあえてジャンル分けしてみると、「少女小説」になるのではないだろうか。倉橋由美子の『聖少女』と同じ血統だ。
ところで少女小説の主人公たちは神である。
だから小説『私の男』は神話である。
『私の男』の映画化は、神話の映画化でもあった。
しかし人間が神を演じることはできても、人間が神自身にはなることができない。
何故なら、人間は、質量を持つから。神様はきっと代謝を行わない。
神を描き出すことができるのは、文学あるいは絵画もしくは漫画であろう。
具体性をもった人間には、描き出すことができない。完璧な人間は、現実世界にはありえないのだから。
小説中において、花も淳悟も「完璧な人間」であった。
『死霊』的にいえば「非存在の王」でありえたし、「分裂しない単細胞」でありえた。
映画において、彼らは現実世界に引きずりおろされた。
肉体を得た。
完全性を失った。
これが、『私の男』の小説と映画の違い。
繰り返すが、良い悪いではない。
えっ、よく分からない?
自分でもまだ、上手く書けない。分からない。
文学性の高い映画はあるが、人間という肉体を介する時点で、真に文学にはなりえないということを言いたいのだけれど。勉強不足。文学性って何だ。
とりあえず次は『赤朽葉家の伝説』でも読もうと思う。