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埴谷雄高『死霊』(講談社文芸文庫)を読む。【読書感想】

 埴谷雄高『死霊』講談社文芸文庫三冊を読了した。

 気合いを入れて読み始めたが、意外とすんなり読めた。普通に面白いと思う。通読に2か月を要したが、これは『死霊』を読みながら別の本に浮気していたためである。しかし通読をしたからといって、内容を理解できたかと問われると微妙である。それからついつい「しれい」ではなく「しりょう」と読んでしまう。以下、感想。


 ストーリーはあってないようなものである。基本的には、登場人物たちが自分の考えをひたすら述べていく、といったものである。
 寓話的な物語や独特な比喩が多い。個人的には「考え続ける単細胞」のあたりが好きだった。
 そして未完。
 物語は、とても中途半端なところで終わっている。何も解決していないし、結局、虚体とはなんなんだ、とか、夢や宇宙・生物の誕生が科学的に解明されてきた現代において、登場人物たちの主張は意味をなすのか、とか、疑問は次々に湧いてくる。
 著者が21世紀に生きていたらな、と思う。最新の科学技術に則った、死霊を読んでみたい。個体の死が、発生したのは、生命が生まれてからずっと後だったんですよ、とか教えてあげたい。


 そして、だんだんと主人公の与志さんに腹が立ってくる不思議。ただの身勝手なニートじゃん、と思った。
 目の前の生活を直視せず、思想で遊んでばかりいるようで不快。どうせ身の回りのことは相続した金で雇った下女にさせてるのだろう。自同律ではなく、お前が不快だ。
 とかいいつつ、羨ましい。私もニートになりたい。本ばかり読んで暮していたい。
 本書を読んだ若者が自殺をした、という噂を聞いたが別に自殺しようとは思わなかった。ニートになりたくなっただけである。何をやったって、どうせ死ぬんだし。
ドグラ・マグラを読めば気が狂う」と同様の噂だろう。確かにインパクトはあるが。


 与志が主人公なのに影が薄いのは『悪霊』スタヴローギンと同様である。
 他にもドストエフスキーの影響だろうなと思われる部分がいくつかある。実は四兄弟だった、という部分はカラマーゾフ的だ。三輪家の血、というのも、カラマーゾフの血、ということに被る。
 三巻の後に、著者目録がある。やはり、ドストエフスキーについての本を書いているらしい。
 独特の感嘆詞、「ぷふい」「あっは」といった言葉はドイツ語らしいけど。

 著者はこの本を半世紀かけて書いたらしい。
 50年だ。両親の現在の年齢とだいたい同じぐらいの年月だ。とてつもない時間である。体感的には永遠にも似た年月である。50年かけて、人が何かをやり切る時、そこには重厚な物語が存在しているのかもしれない。著者は50年かけて「存在」について考えたのだろう。
 私は一つの物事をこれからの50年をかけて考えることができるだろうか。個人的には「存在」ではなく「生きる」ということについて考えていきたいなと思う。もし50年しっかりと考えることができたなら、私も『死霊』をちゃんと理解することが出来るかもしれない。さて、どうだろう。

死霊(1) (講談社文芸文庫)

死霊(1) (講談社文芸文庫)