読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

自己啓発本の効用と詩の効用。

上手くいかなかったことがあり、そのような結果となった事実に対し、とても悲しかった。
結果自体は、得られた方がよかったが、得られなくともよかった。
ただ「上手くいかなかった、結果を得られなかった」という事実が悲しかった。結果に至る過程が上手く結実しなかった。過程が――その結果を得たいがために尽くした時間や金銭や熱意が――否定されたように感じた。

周囲の人々は私に「結果がない」ことに対し、慰めてくれる。
とてもありがたいことだ。
だけど私は「結果がない」ことに対しては悲観していない。このような結果になっても良いように、代替の結果は用意してあった。
私が悲しいのは「結果が得られなかった」からだ。
でも文章でもうまく書けないのに、口頭では伝えられるわけがない。私はただ肩をすくめてみせる。

結果よりも成功体験が欲しかった。
こういえば、少しは伝わるだろうか。
成功体験が欲しい? まったく、合理的じゃない。だから、やはり私は説明できない。
それは私の内面の問題である。目に見える生活に対する問題ではない。だから自分で解決しなければならない。

ということで、私は落ち込んでいた。

落ち込んでいるときは、疲れた体が栄養ドリンクを欲するように、心が自己啓発本を欲する。前向きになりたい。明日への気力が欲しい。ポジティブシンキング。
でも最近は、あえて自己啓発本を読まないようにしている。
代わりに詩を読むようにしている。
自己啓発本を読むことで得られる効用が、詩を読むことで得られる効用と似ていることに気づいたのはいつだったか。
詩は、即効性こそないが確実に、生きる力を与えてくれる。
不思議なことに。詩を読んで、死にたいとは思わない。それがどれだけ暴力的で虚無的な詩であっても。

自分の、自分だけの部屋の、窓際に置いたベッドを思い浮かべる。
枕元には、大好きな高村光太郎詩集と最近買ったばかりの小池昌代編『通勤電車で読む詩集』がある。

少し早い時間、19時前に大学を出た。こんな日ぐらい、早く帰ってもいいだろう。
ノートパソコンは置いて帰った。ブックオフに寄った。
ブックオフでは、「250円以上の文庫本が250円」セールをやっていた。

世界は嫌なことばかりじゃない、と思った。

谷川俊太郎『20億光年の孤独』を買った。私は彼の初期の、青年期の詩が好きだ。
300円の値札がついていたが、会計は250円だった。
文庫本の入ったビニール袋とお釣りの50円玉を握りしめる。

部屋に戻ると未読の本や読みなれた詩集が迎えてくれた。
そして唐突に気づく。「死ぬ気になれば、何でもできる」という言葉の意味に。そう、死ねばいいのだ。

一度死のう、そして、生まれ変わろう。

まったく、合理的じゃない。合理的じゃないから、成功できないのだ。
でも、だから?

「私は死んだ」

ノートに書いた。明日はちゃんと早起きしよう。目覚ましをかけた。

二十億光年の孤独 (集英社文庫 た 18-9)

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