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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

フィリップ・K・ディックの短編集『地図にない町』

【第0回】短編小説の集いにて小説もどきを書いてみたところ、
id:kokorogudog様にフィリップ・K・ディック『地図にない町 ディック幻想短編集』をお勧めして頂いた。
早速図書館で短編集を借りて読んでみた。

コメントを拝読し、はじめはこの本を一冊の短編集として薦めていただいたのだと思った。
が、短編集の最後に収録された表題作『地図にない町』を読み短編単体で薦めて頂いたのだと気づいた。
幸運な勘違いだ。すべての短編を読んでよかった。ちなみにディックの短編は初体験。収録作は以下。

おもちゃの戦争
薄明の朝食
レダと白鳥
森の中の笛吹き
輪廻の豚
超能力者
名曲永久保存法
万物賦活法
クッキーばあさん
あてのない船
ありえざる星
地図にない町

SFな短編集

どの作品にも共通しているのが、SFっぽさである。SF作家なのだから当たり前だが、SFっぽさというのは何だろう。
SF初心者には答えるのが辛い問いだが、ひとつ挙げるとすれば「ここではない世界」を描いていることだろう。
つまり、ファンタジー?この本の副題も「幻想短編集」だ。それでもSFチックなのは、舞台背景が現代であったり、現代をベースにした未来であったりするからだろう。知らんけど。
また収録された作品のほとんどが、いわゆるディストピアものだ。時代背景を反映してか、核戦争を取り上げたものも多い。
だから魔法と王さまと魔物が跋扈するファンタジーとは雰囲気は違う。
しかしディックはこの短編集では、サイエンス・フィクションの目玉である科学的前提はあまり話さない。
理屈っぽい設定を抜きにして、その「世界」で何が起こったのかという、その後を中心に話を進めていく。このような特徴はやはりファンタジーに近いのかもしれない。

書きながらわからなくなってきたが、とにかく、この短編集には「ここではない世界」が舞台になったものが多い。
そして「ここではない世界」に対するように「ここの世界」が存在する話と、「ここの世界」がない話がある。

『地図にない町』はまさしく前者である。
なんたってこの物語は「ここの世界」が「ここではない世界」に侵食されていく話なのだ。
駅員の主人公が存在しない町の駅の切符について尋ねられるところから、世界が侵食される様を発見していく。
ありえたかもしれない「現在」を考えることは誰だってあるだろう。あのときああしていれば。もしあの結果がこうじゃなかったら。ディックはそれを小説世界で実現させた。
私は先に書いた掌編は、主人公が別の世界に気づいたら移動していたという趣旨であった。
比べると主人公の世界の認知の過程などがやはりプロはうまい。あとは感情の書き方なども月と鼈だった。
なるほど、だからこの短編を薦めて頂いたのかとようやく理解した。
理解したはいいが、ディックのような小説を書くにはどうすればいいのだろうか。創作は難しい。

好きなのは『薄明の朝食』

ちなみに一読者として短編集のなかで好きなものを挙げると『薄明の朝食』だ。
これは前面にディストピア=戦争で荒廃した未来を出している作品で、平和な「ここの世界」からディストピアな「ここではない世界」へと主人公一家が移動してしまう物語だ。
クライマックスのあとに、皮肉なオチがある二段構えでまったくもって私好みである。
そしてそのオチの皮肉さは現代日本に対してだって通じるものがある。未来人から見れば、今の私たちは平和を放棄しディストピアへ全力疾走しているおろかな人々かもしれない。
短編集の最後、訳者あとがきにはこうある。

そのアイデアをシリアスに深化させ、テーマに思想性を盛り込めば、カフカまがい、あるいは安部公房もどきにはなるかも知れないが、そういう臭みのないところがただのエンターティメントとして面白いのであり、つまらぬ意味づけや、寓話仕立てでないのがよろしい。

確かにそうだ。しかし私は思うのだ。ただのエンターティメントとして抜群に面白いのは、その中に現代に対するシリアスな毒が含まれているからではないのか。
無難なだけでは終わらない。もしかしたらそれがディックの魅力かもしれない。

読書録

『地図にない町 ディック幻想短編集』
著者:フィリップ・K・ディック
編訳者:仁賀克雄
出版社:早川書房(早川文庫)
出版年:1976年(2004年22刷)

写真撮り忘れた。
最近の長編シリーズのかっこいい表紙ではなく、普通の表紙。
迷路のような不思議なイラスト。素敵。