読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

【第1回】短編小説の集い参加します! 題名:『おばあさんの思い出』 お題:写真

【第0回】短編小説の集いに参加させて頂き、思いのほか小説っぽいものを書くことが楽しかったので、今回も参加させて頂きます。
テーマは「B 写真」です。4637字。
よろしくお願いします。


『おばあさんの思い出』

 恵美子の思い出の中にはいつもおばあさんの姿がありました。幼いころ近所の公園に連れて行ってくれたのはおばあさんでしたし、友達が遊びに来た時にお菓子を出してくれたのも、遠足のお弁当を作ってくれたのもおばあさんでした。

「ただいま」
 恵美子が中学校から帰ると、いつものようにおばあさんは台所に立っていました。
「恵美ちゃん、おかえり。学校はどうだった?」
「いつもどおりだよ」
 共働きの両親に代わり、掃除をし、食事を作るのがおばあさんの仕事です。おばあさんは白菜を洗いながら恵美子に話しかけます。恵美子は鞄を置き、制服のリボンをはずしながらおばあさんに答えます。
「算数のテストが返ってきたんだろ?」
「算数じゃなくて数学」
「どうだった?」
「よかったよ、96点。応用問題は解けたけど、簡単な所で間違っちゃった」
「すごいじゃないか、96点。またクラスで一番?」
「うん、まあね。みんな馬鹿なんだよ」
「ほんと恵美ちゃんはすごいねえ、あの子と違って頭もいいし、運動もできるし、顔も美人さんだし。あの子は本当馬鹿でねえ、毎回テストの度にどきどきしたもんだよ、いつ留年するかってね」
「義務教育は留年しないよ。あ、豚肉買ってきた」
 おばあさんが「あの子」の悪口を続けるのは分かっていたので、恵美子は遮るように言いました。そしておばあさんにビニール袋を差し出します。学校帰りに買い物をするのは恵美子の仕事でした。
私服へと着替えた恵美子は、おばあさんの横へと立ちます。二人が一緒に夕食を作るようになったのはいつからでしょうか。もう何年にもなります。恵美子は内心、面倒くさいと思っているのですが、毎日の慣習を変えるのもそれはそれで面倒くさいので、大人しく夕食作りを手伝っています。そんな恵美子をおばあさんは「恵美ちゃん、恵美ちゃん」と可愛がりました。「こんな可愛い子はいないよ」と近所の人に言い回って憚りません。恵美子はそれを知るたびにくすぐったく、恥ずかしく思いました。

 夕食は白菜と豚肉の重ね煮とタコの酢の物と根菜の味噌汁でした。
「ただいま」
 夜八時すぎ、恵美子の母が帰ってきました。恵美子は母が商社で働いていることは知っていましたが、会社の規模や業務の内容は知りませんでした。
 母が帰ってくるころには、夕食の準備はすっかり終わっていました。母は着替え、食卓につきました。恵美子がお茶を入れます。おばあさんがご飯をよそいます。母の目の下には青黒いクマが浮かんでいました。
 母の前の席にはおばあさんが座ります。そして、おばあさんの隣に恵美子は座ります。食卓に並んだ食事はその三人分です。
「お父さんは?」
 母は聞きました。
「隆さんは出張です」
 おばあさんがきっぱりと答えます。
「聞いていないのかい」
「いえ、えっと、忘れてた」
 そう言って視線を泳がせた母を見て、おばあさんは溜息をつきました。でも恵美子は知っています。父から出張の連絡があったのは夕方の六時ごろでした。現場でトラブルが起き、呼び出されたのです。母は知りようがありません。
「明後日まで、九州だって」
 恵美子は母が可哀想になり、助け舟のつもりでそう言いました。しかし母が恵美子に向けたのは、感謝の顔ではなく、怯えた小動物のような顔でした。母はその顔のまま、小さい声で「そう」と頷きました。三人は箸をとりました。もう誰もしゃべりません。二人きりのときにおばあさんが言う「あの子」というのは、おばあさんの娘、つまり恵美子の母のことでした。
「恵美子、学校はどうだった」
 食事も半分が終わったくらいの時のことでした。母が不意に口を開きました。
「普通だったよ」
 恵美子は簡潔に答えました。再びの沈黙。そこにある音は、おばあさんがおかずを咀嚼するぺちゃぺちゃという音と、時おり小さく鳴る箸と器が接触する音だけでした。
「お母さんはどうだったの」
 恵美子は急に沈黙が耐えがたいものに感じました。
「仕事?」
 そう、恵美子は母の一日のことを聞こうと思ったのです。しかし恵美子の口からは全く違った言葉が出てきました。
「ううん、お母さんの中学時代」
 その言葉に恵美子自身が驚きました。
「普通だったわよ」
 聞いた母も驚いたような顔で答えました。二人の様子を見たおばあさんもすかさず口を挟みます。
「普通よりか、悪かったね」
 すると母は箸とお茶碗に視線を落としました。普段でしたら、これで食卓の会話は終了です。しかし恵美子の口はまだむずむずとし、何か言い足りない気がしました。
「そういえばさ、写真とかないの、お母さんの子どものときの」
 恵美子はふと思いついて言いました。母の写真を見たことがないというのは本当です。写真立ての中は恵美子の写真ばかりですし、アルバムを見ても、父やおばあさん、亡くなったおじいさんの写真はあっても母の写真はありません。
「ないわ」
「ないよ」
 恵美子の問いに、母とおばあさんが揃って答えました。それからおばあさんが付け加えました。
「誰が見たがるものかい、この子の写真なんか。恵美ちゃんと違って、豚みたいにみっともなかったんだから」
 恵美子はおばあさんの物言いにどきりとし、母の顔をそっと伺いました。母は無表情でした。そして言いました。
「そうね、そうだったわね」
 恵美子は黙ってご飯を食べることにしました。タコを噛み砕こうと、一生懸命に顎を動かしました。相変わらずおばあさんの口からは、ぺちゃぺちゃという音が聞こえてきました。



 おばあさんが亡くなったのは、恵美子が中学三年生の冬の日でした。交通事故でした。横断歩道のない道路を横断していたところを轢かれ、病院に運ばれたものの間もなく息をひきとったとのことです。恵美子は学校に、父母は職場にいたため、家族は誰も臨終に立ち会えませんでした。
 仏間の祖父の遺影の隣に祖母の遺影が飾られました。遺影の祖母は、額にしわを寄せ、眉も目じりもきゅっと吊りあげた鬼のような形相でした。今にも口を開き、何かしら非難を浴びせるのではないかと恵美子には思えました。遺影を選んだのは母でした。どうしてこの写真を選んだのかと恵美子が問うと、「お母さんはいつもこんな顔だったじゃない」と答えました。
 仕事で忙しい両親に代わり、恵美子が遺品を整理しました。衣類を捨て、化粧品を捨て、雑誌を捨て、年賀状を一年分を残して捨てました。キーホルダーの入った引き出しの中に小さな鍵を見つけたのは偶然でした。キーホルダーは全て捨てましたが、その鍵はなんとなく捨てずに置きました。
 鍵を見つけた数日後、押入れの奥から木でできた小箱を見つけました。小箱には小さな鍵穴がついています。恵美子は鍵穴に、先日見つけた鍵を差し込みました。鍵はすっと穴に入り、回すとカチリと音がして蓋が開きました。
 小箱の中身は写真でした。それも大量の。多くの写真には一人の女の子が写っています。ほんの赤ん坊の写真から高校の制服を着たものまであり、女の子が成長していく様が見てとれます。もちろん写真の女の子は恵美子ではありません。恵美子が見たこともないくらい綺麗で可愛い女の子でした。
一枚一枚見ていくと、誕生日会と思われる写真がありました。十五本のローソクがささったケーキを、恵美子と同年代の男女が囲んでいます。輪の真ん中には一際目を惹く女の子。写真の日付を何気なく見て恵美子は驚きました。その日付は母の誕生日でした。そして理解しました。これらの写真は全部、母の写真なのだと。
 写真の中には、母が作ったと思われる工作や絵画を撮ったものや、賞状や通知表を撮ったものもありました。賞状はスポーツのものもありましたし、絵画や書道のものもありました。通知表は小学生のころから高校までのものが揃っていましたが、その成績はほとんどが最高を表す「5」や「秀」でした。
 恵美子は改めて、写真の中の母を見ました。母は写真の中で笑っていました。見てはいけなかったものを見てしまった気がしました。写真のなかの母は幼い時はとても可愛らしく、長じてからはとても美人でした。目鼻立ちがはっきりした今風の顔立ちに、すらりとした長身でした。長身であるにも関わらず女らしい体つきをいました。恵美子は母の豊かな胸元を思い出し、急に自分が恥ずかしくなりました。恵美子の体は、おばあさんに似て胴長で、胸は中学生になってもぺったんこのままでした。
 恥ずかしいという思いと共に、恵美子の内に何やら名づけ難い感情が浮かんできました。おばあさんが恵美子に語った様々なことが思い出されました。「あの子はブスだ」、「あの子はトロクサイ」、「あの子は何をやらしてもダメだ」、「友達一人作れやしない」。
「ばあちゃんの嘘をつき」
 思わずそんな言葉が口から漏れます。しかし恵美子にはおばあさんを罵る気持ちはありません。むしろおばあさんの気持ちが痛いほど分かりました。
 溜息をついて写真を小箱に戻し、台所に行きました。おばあさんが亡くなった今、食事の支度は恵美子の仕事です。

 夕食は親子丼とお味噌汁です。両親と恵美子自身の、三人分の食事を用意しました。
「ただいま」
 六時半過ぎに母が帰ってきました。
「あー疲れた、着替えてくる」
 つっかれたー、つっかれた、と節をつけながら母は着替えにいきました。母が鼻歌を歌うなんて、おばあさんが生きている間は一度もありませんでした。いつの間にか、母の目の下のクマも消えています。
「あれ、今日、お父さん出張よ」
 ラフな格好に着替えた母は食卓に並んだ三人分の食事を見て言いました。
「そうなの?」
「言わなかった? 余計に作っちゃって」
 母はそう言うと、おもむろに丼を一つ手に取ると、その中身を躊躇いもなく生ごみのゴミ箱に捨てました。
「さっ、食べようか」
 恵美子は目の前で起こったことが信じられず、母の顔をじっと見ました。目には自然に涙が浮かんできます。母はそんな恵美子に構わず、席に座ると、箸をとりました。
「ちょっと、お母さん、何するの!」
 恵美子の声は震えていました。母は一口親子丼を食べると、「しょっぱすぎる」と言いました。恵美子の子宮の底がきゅっと冷えました。
「お母さん!」
「恵美子、座りなさい。あなた、写真を見たでしょう」
 ふいをつかれ、言葉を失いました。目の前の母は、高校生の写真のままの美人でした。恵美子は初めて生きている母の美しさに気づきました。
「思いあがるんじゃないよ、ドブスが」
 恵美子は高校入試のために撮った証明写真の自分の顔を思い浮かべました。ニキビ面に、離れているうえに重ったるい一重の目、低く横に広がった鼻、大きな顎に、不揃いな前歯が覗く薄い唇。目の前の母は、まるで恵美子の逆でした。
 恵美子は気づいていました。おばあさんが、恵美子のことを可愛い可愛いと言っていたのは恵美子が可愛いからではなくて、客観的には全く可愛くないからなのです。恵美子は身内以外の人から可愛いと言われたことも、男の子に声をかけられたこともありませんでした。恵美子は再び母の写真を思い出しました。母は、小学生のころから、男の子と一緒に写真に納まって、魅力的な笑顔を見せていました。その笑顔は恵美子がどう頑張ったって物理的に作ることのできない可愛らしい笑顔でした。
「ごめんなさい」
 小さな、小さな声で恵美子は謝りました。二人は黙々と箸を動かし、親子丼を食べ進めました。くてっとした玉ねぎとぷりぷりした鳥もも肉の感触と甘辛い味が恵美子は昔から大好きでしたが、その時ばかりは何も感じませんでした。
                             (終)