読書録 地方生活の日々と読書

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映画原作!アゴタ・クリストフ『悪童日記』

移動時間の暇つぶし、のつもりで買ったらとんでもなく面白かった。アゴタ・クリストフ悪童日記』。
題名はずいぶん前から知っていた。評判が良いのも知っていた。
今まで手に取らなかったのは、たぶんその題名のせい。「悪童」という言葉が気に入らなかった。リッパな大人が考えた児童文学の臭いがする。優等生的ないい話は大嫌いだ。

が、一読して上記の推測はまったくの的外れだったと気づいた。これはとてもお子様には読ませられない。
戦争を背景に、暴力、窃盗、性的虐待、レイプ、殺人と平和ボケした頭をガツンと殴るような事柄が続いていく。その描写は、しかし、まったくもってグロテスクではない。感情的でもない。ただ事実が淡々と並ぶところにこの物語の恐ろしさがある。

戦争=生活

物語は空襲を避けるため、田舎のおばあちゃんに預けられた双子の「ぼくら」の目を通して語られる。

おばあちゃんは高らかに笑い、ぼくらに言う。
「敷布に毛布じゃと! 真っ白いシャツに磨き上げた靴じゃと! わしゃ、これからおまえたちに、生きるっていうのはどういうことか教えてやるわい!」

これは優しい母と別れ、「ちいさな町」で生き抜く「ぼくら」の成長物語である。
ただし、大人が望むような「強く、優しい人間」に成長するような凡庸な物語ではない。

悪童日記』の題名通り、この本自体が「日記」(作文の練習)の体裁をとっている。
そのことは12番目の作文『ぼくらの学習』で明かされている。疎開し学校に通えなくなった「ぼくら」は自習を決意する。

 二年半の間、ぼくらは小学校に通った。先生たちも前線へ発ち、代わりに女の先生たちがやって来た。その後、学校は閉鎖された。連日、警報と爆撃が続いたからだ。
 ぼくらは、読み、書き、計算ができる。
 ぼくらは、おばあちゃんの家で学習を続けることを決心した。先生なしで、独習するのだ。

作文は二時間で、二ページ以内で書くというルールがあるので、それに従いこの本の一章は短い。
それに感情を書かないというルールもある。だから、この本には「ぼくら」の体験のみが並ぶ。

作文の内容は真実でなければならない、というルールだ。ぼくらが記述するのはあるがままの事象、ぼくらが見たこと、ぼくらが聞いたこと、ぼくらが実行したことでなければならない。

感情を定義する言葉は非常に漠然としている。その種の言葉の使用は避け、物象や人間や自分自身の描写、つまり事実の忠実な描写だけにとどめたほうがよい。

私たち読者は彼らの感情や思考を理解しようとしなければならない。
「ぼくら」の直面する厳しい状況を読むと考えるのをやめてしまいたくなるが、それでも考えなければならない。
悪童たちの行為は本当に悪なのか、判断するのは法律でも戦争でもない。「ぼくら」は盗み、恐喝し、人を殺す。その一方で、祖母を助け労働し、貧しい隣人に食糧を恵み、ユダヤ人をかくまう。そして戦争を生き抜く。彼らは彼らの正義に従った。正義のもつ二つの横顔を、私たち読者は一人ひとり見つめ、考えなければならない。

それからこの物語には固有名詞がほとんど出てこない。
著者の祖国や第二次世界大戦をモデルにしているということは読めば分かるのだが、それでも地名や戦争名、主人公たちの名前さえも出てこないことの意味は大きいように思う。
この物語の舞台は地獄ではない。人間がいる限り、いつでも、どこにでも起こりえる世界が舞台なのだ。

実写映画化

これ映画化するの、と読みながら何度も思った。「映画化不可能と言われた傑作」という煽りはまったくその通りであると思う。
『すべてがFになる』のドラマ化ぐらいすごいことだと思う。

この本の魅力の一つは「作文」形式という文体だ。もう一つは、一気に読ませるストーリーだろう。しかしそのストーリ―も文体の効果が負っているところが大きいように思う。読めば読むほど「ぼくら」の世界にひきこまれる。

直接的な映像にするとかなりグロテスクなものになってしまうのではないだろうか。この物語は、物理的にグロテスクなだけではなく、心理的にもかなりグロテスクだ。人間の嫌なところが、子どもの目を通しこれでもかと書かれている。司祭が女児に悪戯をするし、仲良くしてくれていたお姉さんは白昼堂々と人種差別をする。「解放軍」は救世主であると同時に奪略犯レイプ犯だ。
完璧な人間なんていない、それはそうだ。私だって、もし戦争に巻き込まれたら、客観的で公正な判断なんてしないだろう。
グロテスク、グロテスクと言っているがそれはもちろん悪いことではない。ただグロテスクなだけの、一瞬の刺激が強いだけの映画になっていなければいいがと願う。あと我が田舎町で上映があればいいが。

実は三部作

ところでこの本は三部作の一作目だ。最後まで読むと分かるが、「えっ、ここで終わり?」というところで物語が終わっている。続きが気になるではないか。ずるい。続きが読みたい。
映画ではどこまでの部分をやるのか、とかも気になる。

最後に読んで一番印象深かったセリフをひきたい。飲み屋での酔っぱらい客たちの会話。

「てめえ、黙ってろ! 戦争がどんなものか、女はまるっきり知っちゃいねえんだ」
 女が言い返す。
「あたしたち女が戦争をまるっきり知らないだって? 冗談もたいがいにしてよ! こっちは山ほどの仕事、山ほどの気苦労を引き受けてんだよ。子供は食べさせなきゃならないし、けが人の手当てもしなきゃならない・・・・・・。それにひきかえ、あんたたちは得だよ。いったん戦争が終わりゃ、みんな英雄なんだからね。戦死して英雄、生き残って英雄、負傷して英雄。それだから戦争を発明したんでしょうが、あんたたち男は。今度の戦争も、あんたたちの戦争なんだ。あんたたちが望んだんだから、泣きごといわずに、勝手におやんなさいよ、糞食らえの英雄め!」

読書録

悪童日記
著者:アゴタ・クリストフ
訳者:堀茂樹
出版社:早川書房(ハヤカワepi文庫)
出版年:2001年発行(2014年15刷)

悪童日記 (ハヤカワepi文庫)

1986年にパリにて出版された。戦争にて母国語を奪われた著者はフランス語でこの本を書いた。