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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

ドラマ「すべてがFになる」(封印再度)を観ながら思い出とか感想とかを書きます。

実はテレビを持っていない。別に意識が高いからではない。単にテレビを買う機会も金もなかっただけである。
普段テレビを持っていないから、友人の家やホテルに泊まったときなどはついついテレビを見てしまう。大学の実習で、二か月間テレビが見れない環境にいたこともあったが、実習が終わり二か月ぶりにバラエティーを見たときはしみじみと思った。日本のバラエティー、ネットでは馬鹿にする人が多いけど、面白いよ。
就職したらまずテレビをかいたいです。

で、今、東京にいる。ホテルにはテレビがある。
なんとなくつけっぱなしにしていたら、ドラマ「すべてがFになる」が始まった。おおお。
噂には聞く「すべてがFになる」。毎週、友人からつっこみどころを聞いて楽しんでいた。犀川先生がウィンドウズ7を使ってる。裸眼。タバコ吸わない。乗ってる車がなんとかかんとか。原作とは別物と思えばそれなりに面白い、と聞いている。
ちょっと、いや、けっこう見たかった。こわいものみたさ?

10年くらい前。中学生のとき、森博嗣にはまりまくっていた。小6のときは『すべてがFになる』を挫折したのだが、中一の夏に読み返すとあっさりと読めてしまい、それどころか、天才についての犀川先生の考察に天に打たれたような感銘を受け、どっぷりはまってしまった。
S&Fシリーズは、まず図書館でノベルスで借りて読み、それから文庫も借りて読みなおし、そしてやはり購入して手元に置いておかねばなるまいという思いに駆られ、本屋で買った。将来、図書館でも本屋でも手に入らなくなったらどうしようとの不安に襲われたのだった。買った本に挟まっていた森博嗣の詩(ポエム?)が書いてあるしおりが嬉しかった。
とにかく中学生の私にとってはいろいろと、ものすごく衝撃的だった。

さて今日の放送は「封印再度」の後編。
中学生のとき、一番好きだったのが『封印再度』。まずタイトルがよい。『封印再度』『Who inside』と脳内で呟くたびに、ニヤニヤが止まらない。トリックも、いや絶対分からないよこれ、そんな化学的な、みたいでよかった。
でも中学生のとき一番好きだったシーンは帰り道のドライブのところ。
結局、キャラ小説として読んでいたんだなーと反省。大学生になって萌絵ちゃんの年齢を越えてしまった今となっては13歳差(だよね?)ってすごいことだよなと一歩引いて考えてしまうのだけど、かつてはそんなこと思わなかった。ドラマでは丸ごとカットか。血液の病気……

で、ドラマの感想。登場人物がみんな俗っぽくて残念。森博嗣ワールドの人々には世俗を超越していて欲しい。できれば肉体も超越していて欲しい。「人間」が演じる以上無理なのだけど。(でも世俗ぐらいはやっぱり超越していて欲しい)
だから感想も、原作とは全く違う人たちが生きて動いてさつさつと意欲しているなあと。特に犀川先生が若く見えるのがなあ。自分のなかで犀川先生は「大人」なイメージなので、大学生といっても通用するくらいの綾野剛は違和感がある。あと国枝さんが「男っぽい格好してる女」であり、男性っぽくないのが残念。黒いシャツてオシャレか。
残念としか書いていないが、別にツマラナイわけではない。ないのだけど、なんというか普通のドラマだなという感じ。中二病的自意識を刺激する面白さは、一般向けのドラマでは表現できないのだろうなあ。

なんか原作への思い入れが未だに強すぎて冷静になれないのでブログに書きました。
でも、自分の好きな作品をドラマ化とか映画化するのは楽しいだろうなあ。
自分ならこう作るのに、みたいな勝手な要望が次々と湧いてくる。

久しぶりにS&Mシリーズ再読したい。
それから来週の『すべてがFになる』の「天才が凡人を産んでしまった失望の末の殺人」をテレビでどう表現するのか気になります。テレビがないから見られないけど。

封印再度 WHO INSIDE 講談社文庫