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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

ポール・オースター『幽霊たち』 柴田元幸訳

海外の物語 読んだ本

不思議な本を読んだ。P・オースター『幽霊たち』
ポール・オースターの本を読むのはこれで2冊目。彼がどのような作家であるのかはまだ掴めずにいる。(一冊目は『ブルックリン・フォーリーズ』。ちなみにこの本の舞台もブルックリンだ)
代表的なアメリカ現代文学の担い手の一人らしいけど。翻訳された小説が本屋や図書館にずらりと並んでいることからも彼が有名だということも分かるのだけれど。

私は今読み終えたばかりのこの短い小説ですら、どのように捉えたらよいのか分からない。
面白いのか面白くないのか、と言われれば、間違いなく面白い。
その面白さもある程度記述することができるだろう。挿入されたエピソードの面白さ、主人公ブルーの内面の変化を追う面白さ、最後の最後に物語が劇的に動く面白さ……
だが、この小説の主題は何か、何が書かれた小説だったのか、という問いに私は答えることができない。
全く以て「読めていない」
文庫で130ページばかりの小説である。柴田元幸の訳による文体は読みやすい。
しかしどのように読むべきなのかと思いながら、読み終えたばかりの本をパラパラと読み返している。
ものすごく深いことが書かれている気がするのだけれど、私はそれを言葉として認識することができない。

はじめはハードボイルドな話なのかと思った。主人公ブルーは若き私立探偵だ。しかし普通のジャンル小説ではないことは、一文目から明らかだ。物語は以下の書きだしで始まる。

まずはじめにブルーがいる。次にホワイトがいて、それからブラックがいて、そもそものはじまりの前にはブラウンがいる。   (p5)

登場人物の名前には「色」が与えられている。どうして色なのかという説明はもちろん本文中にはないし、今の私にはよく分からない。ただの記号としての(カフカの「K」的な意味での)色なのか?
ただ、この一文から、この小説は普通の小説ではないという予感を感じることはできる。
そしてその予感は正しかった。

ブルーはある日、ブラックと名のる人物から、ホワイトという人物を見張るように依頼される。その理由は明かされないが、ブルーはホワイトのアパートから通りを挟んで向かいの部屋の中から、あるいは街中で尾行しながら、彼を観察し続ける。そしてその成果を週に一回、報告書という形にまとめる。
しかしこのホワイトという人物が厄介者だった。彼はほとんど一日中、机に向かって何かを書くか本を読んでいる。たまの外出は目的のない散歩のみ。イベントの起きないホワイトの人生をつぶさに観察するブルーの人生も、やがて平坦なものになっていく。彼の意識は内に内にと向かっていく。
そう、この物語の大半では、小説的なイベントは何も起きない。劇的ではない。ハードボイルド小説とは、対極にある物語である。

キーワードは「書くこと」?

何も起きない、だから、何の解決にもつながらない。ブルーの調査の日々は淡々と過ぎていく。
ブルーがホワイトの観察を通し、謎あるいは無意味さの深さに溺れていくように、私の中にも謎や無意味さが渦巻くようになる。何故こんなことをしないといけないのだろう、という問いは、容易に無意味さへと転じる。そしてその無意味さは、単調な仕事だけではなく、自らの人生へも向けられる。
そしてそこには深い孤独がある。
深い孤独の末、人は何をするか。「書く」のである。
この物語のキーワードの一つに「書く」という動詞がある。題名でもある「幽霊たち」とは、過去の作家たちも指している。ホワイトは一人で物を書いているし、ブルーは報告書という形でホワイトの人生を書く。
つまり「書く」とは、と、続けられるといいのだけれど、残念ながら私には「書く」ということがどのようなことかを記すことができない。ただこの物語を通して、「書くことの孤独」といったことを思っただけである。

それから書かれたものは読まれるものでもある。ホワイトはソローの『ウォールデン』をずっと読んでいる。ブルーもホワイトのことを知ろうとこの本を手に取る。私もこの本を読めば、少しは『幽霊たち』への理解が深まるかもしれない。
『ウォールデン』、知らないなと思い調べてみたら、『森の生活』のことらしい。それなら聞いたことがある。なかなか難解な書物らしい。機会があれば読んでみたい。

幽霊たち (新潮文庫)