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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

【第2回】短編小説の集い参加します。タイトル『ホワイト・クリスマス』

創作

 第0回、第1回に引き続き、【第2回】短編小説の集いに参加させて頂きます!

 三人称推奨とのこと。ごめんなさい、一人称です。それから、来月参加できるかどうか分からないので一足早くクリスマスネタで。よろしくお願いします!

『ホワイト・クリスマス』

 星の見えない曇天の夜。星明りに代わり、街はネオンの人工光に照らされていた。12月24日金曜日。クリスマスと週末が重なった今日、道路には多くの人が溢れている。時刻は二十時半。早めの夕食を終えたのであろうカップルたちが、何組も何組も俺の前を通りすぎていく。
 目の前には不味いコーヒーと冷めてしまったポテト。それからアリバイ作りのように置かれた小さなノートパソコン。24時間営業のハンバーガーショップは、普段より客が少なかった。うるさく騒いでいた高校生の一団が去ると、店は急に静かになりBGMのクリスマスソングがなぜかもの悲しく聞こえた。座っている席が入口に近く、客の出入りの度に冷たい風が当たる。 
 右隣の席では、疲れた顔をした中年男が大きく股を開きうたた寝している。きっと彼にはクリスマスなんて関係ないのだろう。ときどき若い女店員がコーヒーのお代わりを勧めてくる。俺はその度に「大丈夫です」と答える。店員の頭の上には赤の三角帽。メリークリスマス、とでも言ってやろうかと思ったがやめた。彼女もクリスマスイブの八時半を寂しく過ごす仲間の一人なのだ。若いのに可哀想に。そう思うのは、俗に言う「恋愛至上主義」に冒されすぎだろうか。きっとそうだ。所詮、今日はただの金曜日にすぎない。

 そう、ただの金曜日だ。「イブの夜は仕事だ」と告げたときの美沙の顔がふと浮かんだ。「断るわけにはいかないさ、仕事だもの。それにクリスマスイブといっても仏教徒にとってはただの平日だしね」
「仕事ならしょうがないね。一人寂しく金曜ロードショーでも見ます。その代わり土曜日は」
「分かってるよ。レストラン予約したから、ちゃんとした格好してこいよ」
 俺がそう言うと美沙は柔らかい笑みで答えた。彼女は俺の仕事のことを理解してくれる。間違っても「仕事と私、どっちが大事なの」だなんて言い出さないだろう。だからこそ、胸が痛む。イブは女の子にとって特別だと言ったのは、昔々に別れた三つ上の元カノだったか。そんなこと、分かっている。

 仕事が終わったら美沙に会いに行く。サプライズだ。プレゼントはすでにもう鞄の奥に入っている。
「あっ、雪だ」
 店から出ようとした青年の驚いたような声が聞こえた。雪か。改めて意識を外に向ける。しかし俺の目には雪は見えなかった。
 窓の外にはクリスマスの街並みとレストラン「洋食処神鳴」の玄関。ここはレストランに出入りする客を見張るのにもってこいの場所だ。そう、俺は、今まさしく仕事中なのである。
 ターゲットがレストランから出てきたのは、冷めたポテトを食べ終わった直後だった。俺はノートパソコンをしまい、席を立った。この時のために、コートは着たままだった。店を出る。ターゲットは駅に向かい歩いていた。男と手を組みながら。尾行開始。この人ごみでは気づかれることもあるまい。
 ターゲットは駅前の大通りから一本奥の道に入った。そして立ちならぶホテルの一つに男と共に入っていった。俺は手にしたデジカメで、その光景を撮影した。連写した一枚には、ターゲットに連れ添う男の横顔もしっかり映っている。男の名や経歴はすでに調べてあった。つまらない、よくある浮気である。しかし、これで終わりだ。この写真は決定的な証拠となるだろう。
 顔に冷たいものが当たった。空を見上げる。雨だか雪だか分からないものが降っていた。雪だったら、美沙は喜ぶだろうか。喜ぶに違いない。ホワイト・クリスマス。

「こんばんは」
 その時である。背後から声を掛けられた。女の声だ。思わず大きくのけぞった。息を飲む。もう少しでみっともない声を出してしまうところだった。ゆっくりと振り返った。そしてもう一度体を硬直させた。そこにはターゲットの女がいた。
「こ、こんばんは」
 俺は何気ない風を装い挨拶を返す。しかし装いきれてはいまい。右頬がぴくぴくとひきつっているのを感じた。女はそんな俺をどこか面白そうな風に眺めていた。そして形の良い眉を動かし、口を開いた。
「姉に何の用です?」
「あね?」
「ずっと見てましたよね。私の姉、倉田圭子のこと」
 倉田圭子とはターゲットの名前だ。
「いや、気のせいでしょう。私はその方を存じません」
「いいのよ、隠さなくとも。私、三崎祥子といいます。圭子の双子の妹です。結婚して三崎姓になりました」
「はあ」
 俺は頭の中をフル回転させ、ターゲット、倉田圭子のプロフィールを思い出そうとした。プロフィールには家族欄がある。確かに、双子と記載した覚えがあった。
「姉の浮気調査ですよね。私立探偵ってやつですか?」
 ここで身分を隠すのは得策ではないだろう。それに俺の仕事は浮気の証拠を抑えるまで。クライアントからは、ターゲットに調査が行われていることが知られてもよいと言われている。クライアント――圭子の夫はいずれ離婚するつもりなのだ。
 俺は名刺を一枚取り出し、ターゲットの妹と名のる女に手渡した。もちろん彼女が本物の妹だという確証はない。しかし外見から判断する限り、彼女は100パーセントターゲットの妹だ。一卵性双生児なのだろう。驚くほど顔形がそっくりだった。
「新庄武志さんね。ここに立っているのもなんですから、少し歩きませんか。姉の浮気の証拠はないけれど、証言ならいくらでもします」
 そう言うとふいに彼女は俺の腕をとった。そしてゆっくりとした歩調で歩き始める。俺はそれに合わせて歩くしかない。もちろん抵抗することもできたが、場所が場所だけに――俺達がいるのはホテル街だ――憚られた。何も気にしていないような口調で会話を続けた。
「それは私にご協力頂けるということでしょうか」
「ええ」
「失礼ですが、身内であるお姉さんを庇われないのですか」
「別に姉のことが嫌いなわけではないのよ。むしろ姉は大好き。姉は私自身と言ってもいいくらい。双子じゃない人には上手く伝わらないのだけど」
「では、どうして」
「仕方ないじゃない、浮気は事実だもの」
 それから彼女――祥子は、姉の浮気について事細かく俺に語った。二人はいつ、どこで出会ったのか。付き合い始めたきっかけは何なのか。初めて肌を合わせたホテル。出張と偽って行った旅行。サプライズで祝い合った誕生日。
「よくそこまで知っていますね」
 俺は呆れて言った。女は涼しい顔して言う。
「双子だもの。メモ、とらなくてもいいの?」
「ICレコーダーでとらせて頂いてます。申し遅れてすみません」
「さすが探偵さん。あっ、見て」
 いつの間にか駅前まで歩いていた。駅前の広場には大きなクリスマスツリー。ツリーのてっぺんには大きな金色のお星様。俺達二人は思わず立ち止った。大小の豆電球に彩られたツリーは一定のリズムで色を変え、表情を変えた。いつの間にか空から降るものは完全に雪となっていた。空からゆるらゆるらと落ちる雪は、電飾を反射して七色に光った。ツリーの周りには幾組かのカップルが、俺達と同じように光の舞を見上げていた。
「どう、まだ証言は必要?」
「いえ十分です。情報提供者としてあなたの名前をクライアントに教えてもいいですか」
「ええ、もちろん。それよりも」
 突如、祥子の顔が俺に迫った。思わず体が硬くなる。そして次の瞬間、唇に柔らかなものが触れた。俺の肉体はさっと緊張した後、女の体を認識しゆるゆるとほどけた。思わずよろけそうになり、慌てて体勢を立て直す。
「おい」
「いいでしょ、今日はクリスマスイブよ。ねえ、仕事が終わったならICレコーダー切ってよ。お願い」
 上目づかいの「お願い」。何がお願いだ。確かにもうICレコーダーは必要ない。でも彼女に従う必要はない。俺は美沙に会いに行くつもりだ。だが、最愛の恋人である美沙よりも目の前の女の方がずっと胸が大きく、顔も自分好みのことに気づいてしまった。
 雪が強くなってきた。熱烈に愛しあったオリオンとアルテミスも、冬の厚い雲に覆われて、地上の人間たちの目には届かない。


「祥子は結婚しているんだろう」
 シャワーから出た時、バスローブを纏った祥子はすでにベッドの中にいた。
「そうよ、あなたは」
「彼女がいるよ。婚約している」
「ねえ、浮気って悪いことだと思う?」
「浮気調査で食ってる人間に聞くなよな」
「そうね、ごめんなさい。電気消して」
 電気を消した。祥子のいるベッドへと入る。すぐに祥子は、仔犬が母犬に甘えるように俺の唇をむさぼった。俺の中で、何かが壊れた。バスローブの中に手を入れる。背中に手を回しブラジャーのホックをはずす。彼女はじれったそうにブラジャーを脱ぎ捨てた。

「私は、浮気、悪いことだと思わないの」
 彼女は使用済みのコンドームをつまみあげた。その口を器用に結んでみせながら彼女は「残酷よね」と呟いた。そして俺に言う。
「今流行りの子どものDNA検査はスニーカー戦略を壊滅させてしまうものだと思うの」
「スニーカー戦略? 靴?」
生態学の話。弱い個体が子孫を残したり、遺伝子の多様性を確保するためには、なかなか有意義な戦略よ」
「何の話だよ」
「あなたと夫の話」
 俺は改めて彼女を見た。ほほ笑む彼女はとても魅力的だった。
「姉に、あなたのことを相談されたの。私立探偵につけられてるって。そしてその探偵がすごく素敵だって。姉は浮気症なの、私と一緒で。で、姉が欲しいという男を私も見てみたくなったの、それで今日」
「悪趣味だな。で、会ってみてどうだった」
「想像以上。私、あなたのこと好きよ」
「俺も好きだよ」
「ありがとう。シャワー浴びないと」
 彼女はゆっくりと立ちあがった。胸から腰にかけての美しいライン。
「でも今日だけよ、私は基本的には夫のものだから」
 急にこの女のことを手に入れたくなった。一時的な借りものではなく、所有物として。とにかく欲しくなった。知らない夫の手から奪えるならば奪ってしまいたい。祥子が風呂場に消える。水が跳ねる音が聞こえた。
 ベッドサイドに脱ぎ捨てた服から煙草を探して火をつけた。煙を深く吸い込む。美沙のことを考えた。美沙との将来のことを考えた。それは俺の頭の中で鮮明な像を結ぶ。俺は美沙となら幸せ家庭を作れるだろう。そうだ。そう思ったからこそ、俺は美沙と婚約したんだ。でも、その幸せがとても陳腐でつまらないものに思えた。そしてそのつまらない人生がずっと続くのかと考えると恐ろしかった。美沙のことを考えれば考えるほど姉の浮気を見張る探偵に声をかけてきた祥子が魅力的に思えた。

「じゃあね」
 駅の前で祥子は言った。彼女の背後には大きなクリスマスツリー。作り物の星が輝いている。
「夫が待ってるから」
 彼女は淡々と言った。何かを言わなければと思った。でも言うべき言葉が何か分からなかった。もどかしい。それを誤魔化すために鞄をあさった。鞄の底にそれはあった。
「これ、やるよ」
「え?」
「メリークリスマス」
 俺は美沙のために買ったプレゼントを、美沙に言うべき言葉と共に差し出していた。
「何?」
 祥子は驚いた顔で俺を見上げていた。
「迷惑?」
 中身は小さなネックレスだった。貰ってくれればいい。いや、貰ってください。その瞬間、俺は、神に、クリスマスに祈っていた。
 神は俺の願いを聞き入れた。
「迷惑だなんて。うん、ありがとう、嬉しい」
 彼女はその小さな箱を彼女の小さな鞄にしまうと、もう一度「じゃあね」と言った。そして二度と振り返ることなく、駅の雑踏の中に消えていった。
 それで、それで終わりだった。頭の奥が熱を持ったようにぼおっとしていた。雪がうっすらとアスファルトの上に積もっていた。それは多くの人々に踏まれ、蹴飛ばされ、あるいは車に跳ねられて、茶色く汚らしくよごれていた。
 急に寒さを感じた。俺は急いで駅へと向かい、自宅方面へ向かう電車にと飛び乗った。
 今日はただの金曜日にすぎない。美沙とは明日会えばいい。