読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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【日記】寒い夜の風呂読書

 12月。ついに本格的な冬がやってきた。我が田舎町はどちらかといえば雪国なので、すでに道路も屋根も雪で白くなっている。雪化粧という言葉があるが「化粧」の域はもうとっくに越えている。ひたすらに白い世界である。定型的にいえば、一面の銀世界。冬が嫌いな私には嬉しいものではない。それでも雪面が太陽光を反射してきらきらと光っている様を見ると、大好きな宮沢賢治水仙月の四日』の一節が浮かんでくる。

カシオピイア、もう水仙が咲きだすぞ、お前のガラスの水車、きっきと回せ。

 小学生のとき、読書感想画に描いた。雪を降らす雪童子(ゆきわらす)のお話だが、その雪童子の元で働く雪狼(ゆきおいの)をぜひ飼いたいと思っていた。雪狼って言葉がなんだかすごく好き。
 それでも、冬や雪は好きではない。寒いし、滑るし。
 東海地方の太平洋側出身の私は、雪が当たり前のように積もっている冬に未だに馴れることができない。北海道や東北の友人が「雪のない冬なんて想像できない」と言うのを聞くと、日本はやはり広いのだなと、当たり前のことをしみじみと実感する。南の離島に行ってしまった友人は元気だろうか。半月前に届いた手紙には、まだ半袖でいるとの言葉があった。うーん、広いなあ。

 南の島といえばサマーセット・モームである。今年はモームの本をよく読んだ(今まで読んでこなかっただけとも言えるが)。今も今年2冊目となる短編集を読んでいる。モーム短編集Ⅱ 太平洋』。収録されている1つの詩(この詩の名前が『太平洋』)と3つ短編の舞台はすべて、南太平洋の島々だ。
 この本を湯船に浸かりながらちょっとずつ読み進めている。今、最後の収録作『淵』まで来た。自分で言うのもなんだが、風呂読書は贅沢である。風呂に本を持ち込むと、湿気に本は膨張し、ページがべろべろに波打ってしまう。本に良いとはとうてい言えまい。読み終えた後、古本屋に売るというちょっとした経済活動を断念しなければならない。
 しかしこの贅沢、なかなかやめられない。
 外は氷点下。冷え切った体を湯船で温めるには時間がかかる。この何とも言えない手持ちぶたさを救うには、一冊の文庫本があれば良い。夢中になってページをめくれば、体は十二分に温まる。難しそうでなんとなく敬遠していたアノ名作も意外とサクサク読み進めたりもする。
 私は古本屋のワゴンで投げ売りされている本を風呂読書用にしている。カバーや栞を外し、あとは湯の中に落とさないように気をつけて読むだけだ。ちなみに友人曰く、本を湿気から守るためにはジップロックなどの密閉ができる袋を用いるとよいらしい。そして本を捲る用に、消しゴムを一片入れておくのだそうだ。
 もちろん風呂読書に一種の嫌悪感を覚える方もいるだろう。しかし電子書籍も発達しつつある今、紙製の本だって、もっと自由に楽しんでも良いのではないか、とも思う。

 そして最近、ちょっと忙しい。基本的な、朝起きて大学行って帰って風呂入って寝る、というパターンは変わらないのだが(手帳好きなのに手帳に書くことがないくらいルーチンな日々)、大学にいる時間が一時間また一時間と延びている。今まで本を読みふけって遊んでいたツケが回ってきてる。ああもっと読書時間が欲しい。ブログも書けてない・・・
 こんな背景もあり、一人でじっくり本を読める風呂読書の時間は、いまや一日のうちで一番楽しみな時間となっている。もっと余裕が欲しいなあ。

おまけ

過去に書いたモームの小説の感想。