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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

不倫小説。井上荒野『誰よりも美しい妻』

 そろそろクリスマス。クリスマスっぽい本でも読むかと思い図書館へ行くものの「クリスマス本コーナー」(図書館の企画棚)に並べられた絵本たちに興味は惹かれず、クリスマス・キャロルでも読めばいいのかと思うもそんな気にもなれず、いつも通りのセレクトをしてしまった。
 一応、恋愛っぽい小説は借りてみた。『熟年恋愛講座 高齢社会の性を考える』『誰よりも美しい妻』『ゼロの焦点……

 とりあえず、前二冊を読破。現在、松本清張の有名作『ゼロの焦点に取りかかっております。『ゼロの焦点』、もちろん推理小説だが、新婚さんのお話でもある。高度成長期の見合い結婚のアッサリさに衝撃を受けているところ。現在では、見合いにも恋愛的要素はつきものだと思うが、小説内ではまったく無し。ほとんど知らない相手と式を挙げ、それからすぐに新婚旅行で二人で過ごす……すごいなあと思う。うちの祖父母もこんな感じの結婚だったのだろうか。

 『熟年恋愛講座』は新書。何より驚きなのは、作者が「熟年」ではなく30代なこと。高齢者の恋愛と性を扱っており、知らない世界はまだまだあるものだなあと感心した。中学生のころ、新聞に連載していた渡辺純一『エ・アロール それがどうしたの』を思い出した。これも老人ホームを舞台に、高齢者の性を扱った小説。「腹上死」という言葉を知ったのはこの小説だった気がする……

井上荒野『誰よりも美しい妻』を読んでみた。

 それから、井上荒野『誰よりも美しい妻』。タイトルはずっと前から知っていて、とても気になっていた。『誰よりも美しい妻』。うん、ドロドロな気配がする! で、実際読んでみた。一気読みした。面白い。しかし、とても感想が書きにくい小説であった。どんな小説かといえば、不倫小説だ。ヴァイオリニストで女好きな夫が本気な恋をした!というお話。でも一筋縄ではいかない。それは主人公である妻が非常に「冷めた」女であるからだろうか。いや、浮気する夫を許容する妻の話は小説の世界には別に珍しくないが、でも、どこかこの小説は違う。
 なんでだろうなと考える。途中挿入される、二人の子供、深(12歳)の初恋が緩衝剤になっているのかとも思ったがそうでもなさそうだ。

 私の出した仮説は、妻と夫、それぞれが「夫婦」ではなく「恋人」として結びついているからなのではないか、ということだ。
 どうやら彼らは15歳差らしい。妻は21歳という若さで、夫と結婚した。が、この歳の差に関する苦悩がこの小説内ではまったくもって出てこない。それだけではない、結婚生活を続けていけばきっと噴出するであろう細々とした悩みが一切出てこないのだ。十五歳年上とか、夫は加齢臭とかするだろうなと思ってしまうが、この小説内にはそんな下世話な話題は存在しないのだ(そういえば、臭いの描写がほとんど出てこなかった気がする)。なんというか、少女漫画的。ある部分だけにフォーカスを当てている。もちろん悪いことではない。細部を切り捨てた、クリーンな空間の中で、二人の異様な関係性が浮かび上がってくる。

 例えば、夫は自慢でもするように、新たな彼女を妻と子供と過ごす別荘に連れ込んでくる。
 例えば、妻は、習い事のバレエの帰りに、夫の先妻の元へと通う。

 こんなこと、自分の人生の中にも、私の知り合いの人生の中にも絶対に起きないだろう。ファンタジー。でも、そんな特殊な関係性が、どうもリアルに感じられてしまう。
 私も配偶者が浮気をしてもその事実を糾弾することなく受け入れるだろう、そんな気にさせる小説なのである。

 「夫婦」というものは、クリーンな空間の中だけには納まらない関係性であると思う。結婚とは家同士がするもの、とはよく言ったものだ。結婚に伴い、二人だけの関係性から二人に附属する雑多な関係性とも繋がり直さねばならない。そこにはリアルな現実があり、お伽噺のように「二人は結婚して幸せになりました」では終われない。
 しかし小説は自由である。雑多な関係性、生活臭の元となる雑菌を殺菌することができる。そうしてできた仮想の夫婦がこの小説の夫婦である。
 生活臭のない夫婦にあるのは、二人だけの「関係性」である。
 二人の繋がりはどのような繋がりか。それがこの小説の内包する問いであり、この小説を読んだ時の違和感である。読んだ時、一筋縄ではいかない小説だと思ったのも当たり前だ。メインである夫婦の関係性が一筋縄ではいかないのだから。

読書録

『誰よりも美しい妻』
著者:井上荒野
出版社:新潮社(新潮文庫

誰よりも美しい妻 (新潮文庫)