読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

生きづらさにお別れしたいときに読んだ詩集。廿楽順治『化車』

今週のお題「2014年のお別れ」〈2014年をふりかえる 3〉

 体調を崩したり(クリスマス会・忘年会欠席)、車が壊れたり(ファンベルトとバッテリーの交換2万円)、論文が進まなかったりと(休んじゃった)、散々な週末だった。図書館も本屋も行けなかった……

 思い返せば2014年はなかなかに辛い年だった。そもそも正月からついてなかった。生まれて初めて、初詣のくじ引きで「凶」を引いてしまったのだが、まさにその通りな年であった。「願い事 叶わず」「学業 実らず。淡々と精進せよ」。
 しかも今年の「辛さ」は、具体的な辛さではなく抽象的な辛さだった。身内に不幸があった、失職した、生活が苦しい、一家離散、健康を損なった……といった分かりやすい、ある意味共有しやすい具体的な原因を伴った辛さではない。世間の一般的な物差しから見れば、2014年の私は昨年に引き続き十分に恵まれて幸福であった。それは分かっている。

 けれども、確かに、とても辛い1年だった。このような漠然とした原因もあってないような辛さは、他者と共有することはできないのだろう。いくら言葉を尽くしたって。だからリアルではこのような話は絶対にしないし、私に出来ることはその「辛さ」を無理やり文字化して日記代わりのモレスキンを埋めていくだけなのだ。


 今週のテーマは「2014年のお別れ」。漠然とした辛さからお別れしたい。
 毎日、早く死にたいと思うのはさすがに飽きてきた。車の運転をするたびに、自損事故で運転席だけつぶれるイメージを思い浮かべてしまうのはもうやめたい。あと50年生きてしまうかもしれないと考えたときの絶望感をどうにかしてほしい。


 ところで私は別に幸せになりたいわけではない。「幸不幸は自分の考え方、捉え方次第」という考え方がある。まったくもって、その通りだと思う。でもこの考え方は、とっても残酷な考え方でもあると思う。
 物事の捉え方というのは個々人により様々であり、個性がでるものであろう。つまりどんな状況でも、幸せに感じることができる幸せな人がいる一方で、どんな状況でも大して幸せを感じることのできない不幸な人間もいるわけである。自己啓発本の類だと「だから物事の良い面に目を向けましょう」となるのだろうが、良い面と悪い面、どうしても両方目に入ってしまう人間もいるのである。だってねえ、幸福な出来事が不幸の始まりだったという物語は、本にもネットにもいくらでも転がっているじゃないか。

 私は、金も健康も人望も美貌も愛情も、人が羨む全ての物を手に入れることができたとしても、不幸であると思う。漠然とは思ってたけど、言葉にできたのは2014年になってからだった気がする。「あっ、私、幸せにはなれないや」。ふっと気づき、思わず笑ってしまいそうになった。愉快だった。
 幸せな人から見れば信じられないのかもしれないが、こういう人格に育ってしまったのだから、しょうがないではないか。


 でも、幸せになれなくてもいいから、もう少しだけ、楽に生きれたらいいのになと思う。だから、お別れしましょう、2014年の「生き辛さ」。

そういう時は詩を補充

 で、そういうお別れのときに効くのは、私の場合、やっぱり物語だったり、詩だったりする(長い前振りだった)。最近効いたのは廿楽順治『化車』。第62回H氏賞受賞の詩集です。
 詩のことは良く分からないのだけど、この本、ガツンと効きます。

 長篇詩はずっと敬遠していたのだけれど(長いから)、意外と面白いのではないのではないかと思いはじめた今日この頃。本詩集には、5本の長篇詩が含まれており、読み応えがある。内容もけっこう難解だと思う。使われている言葉はやさしいのだけれど、よく分からない部分も多い。でも、だから、引きこまれる。

 雰囲気は、ひたすら暗く、血生臭い。戦争の足音が聞こえる。私たちが忘れようとした戦後の日本の姿を、「もはや戦後ではない」のではなく、平成の今になっても戦争は続いているのではないか、と歌っているように思った。幸せ不幸せといった観念上の事柄なんざ、肉塊としての人間の存在の前には無意味なのである。

 色々と読み違えている気がするが、記念としてブログに書いておく。今度また詩集を読み返したときに、見返してみようと思う。

読書録

『化車』
著者:廿楽順治
出版社:思潮社
出版年:2011年

化車

やっぱり詩の感想を書くのは難しい。