読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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色気より食い気なクリスマス 内田百閒『御馳走帖』を読み返す。

 クリスマスである。今年は24日25日ともに平日であることもあり、普段通りに過ごしたという友人が多かった。私も例に漏れず、どちらの日もいつも通り学校にきて、実験して、論文をまとめていた。ネットを見ると、リア充を羨むあまりクリスマスまで憎むような人間もいるようだが、私自身はクリスマスを過ごす友人や恋人がいなくとも、クリスマスは好きだ。
 12月に入るといつものスーパーもクリスマス色に染まる。華やかなディスプレイに、BGMのクリスマスソング。影響されやすい人間なのでそれだけでなんだか楽しくなってくる。売っているもの、クリスマス商材はどれもこれも美味しそう。例えば、肉売り場には手羽に骨付きもも肉に、普段は並んでいない丸鶏まで並んでいる。各種オードヴルやちょっといいハムやベーコン、どれもこれもちょっとずつ食べてみたい。ああ、美味しそう。この時期だけのものが食べられる。それだけでもいいことじゃないか、クリスマス。
 
 前記事で「自分は不幸な人間だ」的なことを書いたが、追記。食べることを考えているときと、食べているときは幸せだ。読書ブログを書いているが、本を読むことよりも食べることの方が好きである。辛い思いを抱えながら本を開くことはあるが、食べているときは目の前の食事のことしか考えていない気がする。

ボリュームいっぱいの食エッセイ。内田百閒『御馳走帖


 先週体調を崩し絶食していた反動か、ここの所食べることばかり考えてる。気がつけば、ネットで食べ物画像を探している。これはいけない。ネットサーフィンするぐらいなら、本を読むほうがまだましだろう。ということで、内田百閒の読書にまつわるエッセイをまとめた御馳走帖をパラパラと読み返している。

 このエッセイ、特筆すべきはそのボリュームだと思う。文庫385ページにつまった、食にまつわるエッセイが72篇。戦前-戦後を生きた人の文章なので、その時代特有の読みづらさ(格調高さ?)も手伝って、ものすごく読み応えがある。さらっと読める食エッセイも大好物だが、たまにはこのような文章を読むのもいい。
 取り上げられている内容も様々だ。美味しかったもの、初めて食べたもの、あるいは、食べたいもの。高級なもの、そうでないもの。故郷の味、東京の味。今ではクリスマスの定番であるシャンパンがまだ珍しかったころのエッセイもある(『三鞭酒』)。今はやりの蒲鉾とそれにまつわる御伽話について書かれたものもある(『蒲鉾』)。

 普通の食エッセイと違い、少し捻くれた視点から書かれたものが多い。例えば、酒は飲みなれたものに限るので、美味しすぎる頂き物の酒もそこまで有りがたくないといった具合(百鬼園日暦』)。素直に美味しかった!というものよりも、食を通じたエピソードに重点が置かれているようにも思う。そして、この人、生きてるうちは相当に我儘で迷惑な人だったろうなーと感じる。ブログや最近の本は、自分の我儘を押し通したエピソードはタブーな空気なので、このような「ありのまま」な行為がそのまま書かれているのを読むのはとても新鮮に感じた。

 それから戦中の食べ物が簡単に手に入らなかったときに書かれたものもある。『餓鬼道肴蔬目録』という、食べたいものの名前を書き連ねただけの文章。食糧難のことを思うと厳粛な気持ちになるが、それでもこの一篇、私は好きだ。

  ソノ後思ヒ出シタ追加
 にんじんの葉ノおひたし
 りんご
 ペリングソースヲカケタかつおぶし
 かまぼこノ板ヲ掻イテ取ツタ身ノ生姜醤油   (p236)

 中には知らない食べ物の名前も並ぶ。どんな食べ物なんだろうと思いながら眺めている。食エッセイを読んでいるときも、たぶん私は幸せだ。

読書録

御馳走帖
著者:内田百閒
出版社:中央公論新社(中公文庫)

御馳走帖 (中公文庫)