読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

風呂で詩を読む。『孤独な泳ぎ手』衣更着信

 秋頃から時折、小池昌代編著『通勤電車で読む詩集』という本を風呂読書中に読んでいる。何度も読んでいるうちに、自然とお気に入りの詩は変わっていき、初読時には大して心に残らなかった詩が今はとても好きになったりもしている。再読、繰り返し読むって大事だなと実感。

 この詩集には全41作の詩が入っている。その中で、今一番好きな詩は『孤独な泳ぎ手』という詩である。はじめ読んだ時は、女性が作った詩であるのかなと思ったが、作者の名は「衣更着信」。ウィキペディアによると本名は鎌田進、男性であった。
 1920年、つまり大正時代に生まれた人らしいと知ってさらに驚いた。詩は瑞々しく、現代の女性が書いたものと言われても、おかしくないと思った。一人称が「わたし」だからか。

 一度気にいると、その詩のことや作者のことがもっと知りたくなってくる。

 「衣更着信」で検索してみる。「孤独な泳ぎ手」で検索してみる。
 思っていた以上に、情報が少ない。
 
 生前、彼はいくつかの詩集を出版していたらしい。現代詩文庫からも「衣更着信詩集」が出ている。どれも、なかなかに、入手が難しそうだ。人はこうして蔵書家の沼へと進んでいくのか。
 彼に言及した記事もわずかだが、ネット上に転がっていた。『荒地』に参加した詩人。訳者でもある(ポケミスも訳してる!)。なるほど。しかし彼の全貌は全く以て分からない。
 
 調べ方が悪いのだろう。根気のない私はすぐに情報集めをギブアップした。
 彼の他の詩を読めない以上、目の前にある詩を味わうしかない。

 長い詩ではない。詠われているのは、小イワシの群れの中で泳いだときの様子。

 詩人はイワシの群れに囲まれ泳ぐ。手を伸ばせば届きそうな距離にイワシたちはいる。しかし、いくら手を伸ばしても、素早く泳いでも、イワシたちには手を触れることができない。著者は、その様から「life」という言葉を思い浮かべた。

 詩を要約することに意味はあるのか。私にそれができる程の技量があるのか。ない気がするが、無理やり要約すると以上のようになる。うーん、詩の良さを散文でようやくするなんて無理だ。はじめとおわりを抜き出してみる。

いわしの集団のなかで泳いだことがあります
夏の真さかりの、まだ五センチくらいの小いわしの群れが
浜辺まで近寄って来ることがあるでしょう

わたしはもどかしい、わたしはさわれなかった
あれがlifeなんだ、今こそ悟る
あれがlifeなんだ

この詩には、途中で「life」という英単語が出てくる。はじめて読んだ時は、日本語の詩に一つだけ英単語が出てきたことに、反感のようなものを覚えた。そのことで、詩全体もあまり好きに思えあなかった。どうして「life」と書いたのだろう。
 でも何度も読んでいると、やっぱりいいかもと思うようになってきた。さらに読むと、やっぱり「life」じゃないとダメだったのだろうなと思うようになった。
 詩というものは、やはり奥深いものだなと思う。

 一度体系立てた勉強をしたい気もするけど、現代詩の勉強ってどうするものなのだろう。基礎的な知識がなさすぎる。鑑賞の仕方も良く分からない。ひたすら読むしかないのかな?詩集ってなんであんなに高いんだろう。

通勤電車でよむ詩集 (生活人新書)