読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

映画感想 『愛のむきだし』園子温監督。

 本を読んだり、映画のDVDを観たりして過ごしている。「学生生活最後の春休み」という何でも許されそうな響きに負けて、ひきこもりな生活を送っている。
 せっかくなので、ものすごく長いという評判の映画DVDを借りてきた。愛のむきだし。なんとDVDも上巻下巻の二つに分かれている。上下巻あわせて237分。ほぼ4時間の大作だ。こういう休みでしか観られない。
 園子温監督。彼の作品は、以前ヒミズを観た。一年以上前に観た『ヒミズ』で今一番印象に残っているのは、原作にはないが急遽入れたという冒頭の震災後のシーンだ。好き嫌いがはっきりと分かれる印象がある監督だが、私は好きだ。でも、まだ二作目なので、身構えてみはじめた。『愛のむきだし』というタイトルから、ジメジメした痛い恋愛モノかと思ったのも要因のひとつ。だが、そんな必要はまったくなかった。

面白かった。

 感想を一言で言う、面白かった。四時間という時間はまったく感じなかった。むしろ時の流れが早く驚いた。
 面白くて満足したので、別に感想を書かなくてもいいかと思ったが、一晩経ってやはり書いておこうかという気になった。本映画の悪役であるコイケの悪い顔が頭から離れられない。このコイケ、すっごい悪いやつで、見ながらとにかくイライラしていた。しかもあそこで死ぬなんて・・・生きて罰を受け、辛酸を舐めてほしかった。安藤サクラの演技にまんまとやられた。
 えっと、ほかに、面白かった以外の感想、何を書けばいいのだろう。

 普通の映画じゃないな、というのは観ていて感じた。
 では、何が普通の映画じゃないのか。

 一つはストーリーの展開の強引さ、というのがあると思う。なんかもう、むちゃくちゃ。リアリティー、というものを無視する潔さ。

 『愛のむきだし』の世界は、社会の一般常識ではなく、登場人物の感情の強さによって成り立っている。だから私たちが住む現実では起こりえぬことが起こるし、それで筋が通っていく。右往左往しているのに、最後はしっかりとまとまっている。なんだか上手く騙されている気もする。けれども感動もしている。めでたしめでたし。

 もう一つは、ジャンルの超越である。私は映画にまったく詳しくないが、映画というのはジャンル分けが進んでいる分野なのではないかと思う。レンタルショップに行けば、映画のDVDは「恋愛」「アクション」「ホラー」「SF」などのジャンルごとに並べられているし、映画の予告編にだって「今世紀最大のラブストーリー(アクション、ホラー、SF)」といったようにそれぞれの映画が属するジャンルが歌われている。私たち消費者は、自らの嗜好に沿ったジャンルを選択し映画を消費するのである。
 この映画、ジャンル分けするとなると何になるのだろう。筋としては「主人公が初恋の人を守る」というものなので「恋愛」ものかもしれない。が、恋愛映画を見に来たつもりの人がこの映画を見ると「いろいろと違う」と思うだろう。
 ネットの感想をいくつか読んだが、「ギャグ映画だ」と書いているものが目についた。私は、これをギャグ映画だ、と断定してしまうのもどうかなと思う。それは「シュルレアリズムはすべてギャグだ」と言っているようなものではないのだろうか。ある意味正しいし、もしかすると本質を突いているのかもしれないけれど、そう断定してしまうにも抵抗がある・・・といった感じ。第一、ギャグ映画だとしてしまうには、虐待シーンが生々しい。
 この映画は、既存のジャンルに属することを拒んでいるように思う。違うな、複数のジャンルに属しているのか。ある面から見たら、「純愛もの」で、別の面から見ると「アクション」で、もちろん「ギャグ」でもあって「シリアス」なドラマでもある。『愛のむきだし』は、そんな映画だ。

演劇っぽい。

 上の二つのことを書いていて、なんだか演劇っぽいなと思った。もちろん演劇にも色々あるが、私がイメージした演劇は、大きなホールで行われるようなものではなく、町外れの芝居「小屋」で金土日にやっている前売り券2000円くらいの芝居である。
 上記イメージの演劇って、映画よりもむちゃくちゃで、自由で、わざとらしくて、あざとくて、「芝居がかった」セリフがあって、登場人物が叫んで、役者が汗かきながら舞台を走り回って、なんだかよく分からないけど妙に引き込まれて、観ているだけなのに気分が高揚してきて、常識だとか物理法則とかの外側で主人公たちを応援しているうちに物語が終わる、気がする。気のせいか?
 そして演劇って、比較的ジャンルからは自由な気がする。少なくとも、ギャグだけの演劇も(それではお笑いだ)、シリアスだけの演劇もないと思う。ギャグだけどシリアス。シリアスな状況なのに、登場人物たちは馬鹿ばかりやっている。そんなイメージ。
 うん、なんだか、演劇見に行きたくなってきた。同じ空間で、人が人を演じているのを観るって、やっぱりいいもんですよ。
 『愛のむきだし』の面白さも、そんなところにあるのではないのかなと思う。
 演技は全体的にわざとらしいし、演出は過激だし(盗撮や喧嘩のシーンや勃起の表現など)、ストーリーもめちゃくちゃだし。そもそも本映画のキーである「愛=勃起」というのもまじかーという感じである。でも、それが良い。

以下、けっこうなネタばれ有りな独り言。この映画はR15です。

 ところで、この「愛=勃起」という等式、映画の悪役コイケからするとどのような意味を持つのだろう。コイケ(と物語初期のヨーコ)はそもそも「愛=勃起」という等式を承認していない。彼女にとって「勃起=支配の象徴」であるのだろう。だからコイケは、暴力を振るっていた父親のペニスを切除する必要があった。しかしその行為は、愛の拒絶でもある。コイケは愛を拒絶した女なのかもしれない。
 では、ユウの勃起はコイケにとってどのような意味を持つのだろう。この問いは、勃起するユウを痛めつけることはコイケにとってどのような意味を持つのだろうか、と言い換えることができる。なんだかすごく簡単な問題を解いている気がする。そういうことです。でも、今書きながら分かってきたことなので許してほしい。だからラスト、コイケはヨーコにユウのペニスを切れと迫ったのだろう。
 しかしヨーコは切ることができなかった。ユウを受け入れることもできなかった。コイケの命令を聞くことも、救世主であるユウを信じることもできなかったヨーコはただ悲鳴をあげた。
 書いていて改めて思うのは、この映画はヨーコが「愛=勃起」を受け入れるまでの物語なんだなということだ。そしてヨーコが「愛=勃起」という価値観に揺さぶられてしまった時点でコイケは敗北したのだ。たぶん。

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