読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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【日記】欲しいものがない、ということ。

今週のお題特別編「子供の頃に欲しかったもの」
〈春のブログキャンペーン 第3週〉

 好奇心が強い子供だった。
 欲しいものはいっぱいあった。

 社会人になって半月ほど経った。自分の内面の変わりように呆然としている。
 
 学生時代を通し、ずっと頭を悩ませていた「いかに生きるべきか」という青臭い問いが見事に霧散してしまった。昨秋あたりからつい三週間前まで、「自分の人生は失敗だった」という思いを追い出せずに悶々としていたのだけれども、今は明日の食事やプロパンガスの請求代といった生活上の細事で頭がいっぱいだ。
 忙しいから、というわけではない。研究室時代は毎日22時23時の帰宅だったが、研修期間の今は、18時には自分の部屋に帰ってきている。むしろ空いた時間を持て余している。時間はあってもそれを有意義に使うことができず、だらだらと過ごしてしまっている。本すら、開いていない。開いても、読み続ける集中力が続かない。物語の最中に、ふと、明日は洗濯しないとな、という言葉が浮かぶ。漂白剤を詰め替えなければ。もう、物語世界には戻れない。

 まるで自分が白痴にでもなってしまったかのようだ。
 と、どこか他人事のように思う。

 諦める。本を置いて洗い物をする。排水溝のネットを取替えながら、母もこうして家事に追われていたことを思い出す。それでも「何で生きているのだろう」という至極まっとうな問いが頭をかすめることはない。

 大人になるというのはこういうことか。

 仕事、生活に追われて思考停止することか。
 仕事のことや生活のことに頭を使う方がずっと楽だ。だって今、私は楽しくも悲しくもない。実験の合間に「何で生きないといけないのか」という答えのない問いに、延々と向き合っていた頃のほうがずっと辛かった。
 ただ、漠然と自分は幸せにはなれないだろうという感覚を指先に感じている。
 すべてを、悩んだ日々を忘れてしまえば、この感覚も消えるだろう。幸せにもなれるかもしれない。でも、それでいいのだろうか。

 新入社員として、自己紹介をする機会が多々ある。同期の友人は就活の自己PRをなぞった自己紹介をした。声のトーンがそこだけ面接モードになっている。自分の番、自己PRではなく自己紹介をしたいと思って口を開く。その瞬間、紹介すべき自分など何もないことに気づく。だからといって、就活中、面接で話した文句は、どうも「嘘」にしか感じられず、どうしても言いたくなかった。結局、口から出てきたのは無難な詰まらない文句だ。「一生懸命頑張りたいと思います。どうぞご指導のほどよろしくお願いします」。もう、何を言ったのかも覚えていない。

 趣味は、と問われて、無趣味であることに気づく(とりあえず読書です、と答える)。
 学生時代に達成したことは、と問われて、何も成し遂げていないことに気づく(エントリーシートには何かしら書いたはずなのに)。
 挫折したことは、と問われて、幼い頃の自分の期待に沿うことに挫折しました、なんて言えない。

 つまらない人間であることは自覚している。
 何をやりたいか、何が欲しいか、という問いに、即答できないことに気づく。これは、結構、辛い。
 幼い頃は、欲しいものも、やりたいこともたくさんあったのに。

 初任給が出たら、久しぶりに詩集でも買おうと思う。