読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

おかあさんの本棚。

今週のお題「これ、うちのおかんだけ?」

 今週のお題に便乗。ちなみにうちでは「おかん」という言葉は使わない。父も自分も兄弟も「お母さん」と呼ぶ。

 両親はそれなりに読書好きだった。小さい頃から図書館に連れていってもらっていたし、子供たちが家を出た今現在も夫婦二人で二週に一度は図書館に通っている。家にも本はたくさんあった。しかし両親の読書傾向は異なっており、父は歴史小説や戦争小説やSF大作などいわゆる男性向けの小説を、母はミステリや今でいう本屋大賞をとりそうな話題本を中心に読んでいる。夫婦で読んでいた本は、ハリポタや指輪物語などのファンタジーだった。

 そんな両親から生まれた私の読書傾向は、どちらかというと母に似ている。いつのころからか、母と蔵書を共用する、というか、私が勝手に母の本棚から本を抜き出して読むようになっていた。
 

母の本棚で桐野夏生に出会う。

 12歳のころだったと思う。母の本棚に、桐野夏生の『OUT』を見つけた。なんとなく手にとって読んだ。衝撃的だった。

 弁当工場で働く主人公たち、衝動的に夫を殺す若い妻、おしっこで悴んだ手を温める主人公・・・・・・

 物語自体も中学生にとってはパンチが効きすぎるほど効いていた。しかし何よりも衝撃的だったのは、自分の「お母さん」がこのような小説を読んでいることだった。それ以前にも母の本棚から「リング」などを抜き出し読んだことはあったが、そのときはそこまで衝撃を受けなかった。けれども、『OUT』を読んだときは打ちのめされるような気分になった。
 もちろん、桐野夏生や『OUT』を読んでいる「おかん」は、たくさんいるだろう。それに、読んだ本が『グロテスク』や『東京島』ではないだけよかったのかもしれないけれど・・・・・・


 「お母さん」が一人の人間である、ということが心から納得できたのは、もう少し経ってからだった。客観的に、ある意味冷酷に、「母も一人の女に過ぎない」と捉えることができるようになったとき、私の反抗期=子ども時代は終わり、一人の人間として母に優しくなれたと思う。

 そのころには桐野夏生は大好物となっており、『I'm sorry,mama.』『魂萌え!』など女の生き様を描いた小説をむさぼるように読んでいた。今回、このようなことを書こうと思ったのも、昨夜寝る前に、桐野夏生の出生作『顔に降りかかる雨』やその続編『天使に見捨てられた夜』を久しぶりに読みたいなと思ったからである。女探偵ミロが活躍する女流ハードボイルド、書いたらまた読みたくなってきた。

OUT 上 (講談社文庫 き 32-3)OUT 下 (講談社文庫 き 32-4)

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