読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

壮大なホラ話?『わたしは英国王に給仕した』フラバル

 映画『グランドブタペストホテル』を観た。面白かった。映画の主人公はロビーボーイ(給仕人見習い)、同じようなホテルやレストランを舞台にした小説が読みたいと思い、『わたしは英国王に給仕した』を手に取った。河出書房新車、池澤夏樹個人編纂世界文学全集のなかの一冊で以前から気になっていた本でもある。

 読んで驚いた。
 この小説は一人の男の半生を描いた一冊であり、物語は確かに主人公が給仕人としてホテル「黄金の都プラハ」で働き始めたところから始まる。しかし物語の後半、彼はもはや給仕人ではない。彼が生きたのは20世紀のチェコ。戦争と社会主義の嵐と金持ちになりたいという欲望が彼を数奇な運命へと導いていく。
 人生山有り谷有り、とはいうが、主人公の人生は山はどこまでも高く(エチオピア王への給仕、自分のホテルを建て有名人の隠れ家的存在になる)、谷はどこまでも低い(戦争時に敵国出身の妻を持ったはいいが空襲で亡くしてしまう、共産主義下で集団収容所に収容される)。しかしどのエピソードも、とても軽快に語られ、どこかホラ話、自慢話めいた響きがある。しかしそれと同時に、どんなに楽しげなエピソードでも、どこかリアリスティックな冷たさ――といえばいいのだろうか――が、根底には流れているような気がする。
 個人的に好きなのは、戦後共産主義下で「金持ちだから」との理由で集団収容所に収容されるエピソード。金持ちたちが集まった集団収容所は、国内でどこよりも貨幣が効力を発揮し、物が溢れ、資本主義的な豊かさがあった・・・・・・なんという皮肉。

 この本は面白い。帯によると、著者フラバルはこの本を18日間で一気に書き上げたのだそう。主人公の語りによる文章は、訳者にも恵まれ、読みやすく、わたしも一気に読破した。
 そして読み終わって思うのは、人生何があるか分からないということ。もちろんフィクションと自分の人生を比べても仕方がない。しかし未来が、自分の人生のこの先がどうなるのか分からないのは、物語中の登場人物たちも、現世に生きる私達も同様である。そして誰の人生も、それなりにドラマチックであり、語りの才能さえあれば、誰かに面白おかしく自分の人生を題材にしたホラ話を披露することができるのかもしれない。
 象徴的な登場人物がこの物語には登場する。若い頃のホテルの給仕仲間のズデニェクである。ズデニェクは「何事も楽しむのが好きで、休みのたびに数千コルナという桁で有り金をすべて使ってしまう男」である。金を貯め大金持ちになることを目指していた主人公とはまったく逆の価値観を持っていた。
 

 ズデニェクはどうやって数千コルナを使うか十日のあいだずっと考え続けているのだが、わたしはといえば、部屋に鍵をかけて、床に百コルナ札を敷き詰め、裸足で紙幣の上をタイル張りの床を歩くように歩いたり、あるいは緑豊かな草原にいるかのようにその上に横たわったりしていた。ズデニェクはある石工の娘の結婚式の準備をしてあげたり、またある時は、孤児院の男の子たち全員に白い水兵の服を洋服店で買ってやったり、移動遊園地のメリーゴーランドやブランコの代金を一日分支払い、皆ただで乗ることができるよう手配したり、またある休日にはプラハに出かけて一番きれいな花束やルソルカの便を買い集め、公衆便所を一つずつ訪ねて、番をしているおばあさんたちに、まだ来ていない祝日あるいはもう過ぎてしまった誕生日のお祝いをしていた。

 こんな利他的な人間が戦争、戦後をどう生きたのか。
 ナチス支配下の戦時中、ズデニェクは反ナチスの地下活動を行い、戦後の共産主義下では、彼はなんと政治家となっているのだった。
 ほんと人生は何があるのか分からない。それでも、自分の人生を愉快に語ることことができたのならば、未来の先の見えなさは一種の愉悦でもある。

読書録

『わたしは英国王に給仕した』
著者:ボフミル・フラバル
訳者:安部賢一
出版社:河出書房新社
出版年:2010年

わたしは英国王に給仕した (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)