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読書録 本読みの貪欲

近畿地方の某田舎町で一人暮らし中。

『ブリキの太鼓』 グラス 池内紀役

 本を読むたびに自分の想像力の貧困さを残念に思う。

  
 社会人になってから、読書の時間がなかなか取れなくなった。
 だから長い物語を手に取ることを自然と避けてしまっていた。
 久しぶりに開いた池澤夏樹=個人編集 世界文学全集。私は久しぶりに広大な物語に出会った。

ブリキの太鼓』グラス

 この本は読みごたえがある。二段組の単行本600ページという単純なボリュームもさることながら、その内容の濃さがなかなかすごい。
 扱っている時間は主人公が生まれてから30歳になるまでの30年間+祖父母と両親のエピソードと、文学界の中ではそこまで長くはないだろう。
 しかしこの30年間で何が起こったか。第二次世界大戦である。
 本書は三部作になっており、それぞれ戦前・戦中・戦後の世界に生きる主人公のエピソードの集合からなる。
 舞台は現ポーランドにて、当時は自由都市であったダンツィヒ。時代に蹂躙された町に生まれた一人として、いや、時代など関係なく一人の道化師として、主人公オスカルは私たちの前に生まれ落ちた。

 んン、そうとも、ぼくは精神病院の住人だ。看護人が見張っている、ほとんど目を離さない。なぜってドアには覗き穴があるからね、看護人の目はブラウン、ぼくの目はブルー、これじゃあ見通すことなどできないさ。(p10)

 物語がはじまった。

オスカル、3歳で成長をやめる。

 物語の冒頭1章目は祖母のエピソード、2章めは祖父のエピソードに充てられている。主人公オスカルは3章めで生まれる。
 3章めのタイトルは「蛾と電球」。彼は生まれ落ちてすぐ、部屋を飛ぶ蛾とそれを照らす電球を、その目で見た。

 すぐさま言っておくのだが、ぼくは耳ざとい赤子にあたり、精神的発達が誕生の際に完了していて、あとはそれをたしかめるだけといったタイプの胎児としてただ自分の声だけに耳を傾け、羊水に映る自分の姿だけをながめていた。(p42)

 だから彼は両親が、彼の出産の際に言った言葉をしっかりと耳にする。
 彼の父親は言った。

「いずれ商売を継がせてやろう。おれたちに働きがいができたというものだ」

 母親は言った。

「オスカル坊やが三つになったら、ブリキの太鼓を買ってやりましょうよ」

 
 オスカルは考える。

 泣き虫の青みがかった赤らんだ赤ん坊とみせかけながら、ぼくは決心をかためていった。父のもくろみ、食料品店にかかわることは断乎としてお断り。いっぽうでしかるべきとき、すなわち三歳の誕生日を期して、母の腹づもりは好意的に検討してみることにした。(p44)

 だからオスカルは三歳にて成長をやめた

子供の残酷さ

 三歳のオスカルが見せるのは、子供の純真さではなく残酷さである。
 彼は他人のことを思いやらない。なぜならば、子供だからだ。
 「少年兵は残酷だ、人の痛みを知らないから」というよく聞く言葉を思い出した。
 彼は他人の痛みを感じない。あるいは、感じていないように語る。
 しかもその言葉が真実かどうかも怪しい。語り手が真実を語っているとは限らない、というのはよくある話だが。ある章で語った言葉を次の章であっさりと否定したりする。
 嘘つきで、人の痛みが分からず、しかも幼児の体が大人から見た際にどのような効果をもたらすのか十分に承知している、悪魔のような三歳児。それがオスカルだ。
 しかも声でガラスを割るという特技まで持っており、夜な夜な町へ繰り出しガラスを割り、一般人に窃盗を促したりしたりする(自分で盗まないところがポイント)。
 盗みどころかもっと酷いことも行う。なかなか一言では書けないので、ぜひ読んでみてほしい。

要約しにくい物語

 まったくもって魅力の伝わらない感想を書いているなと思う。
 題名にもなっているブリキの太鼓だけれども、まったくもってその魅力を説明できる気がしない。
 語り手の一人称が「オスカル」だったり、「ぼく」だったりと、語りや訳もものすごく魅力的で、残酷な三歳児である主人公にまったく共感できなくともぐんぐん読み進めてしまう。
 
 作者ギュンター・グラスノーベル文学賞作家。
 はじめて読んだのが今回のブリキの太鼓だった。この本は『猫と鼠』『犬の年』という小説と合わせてダンツィヒ3部作」と呼ばれているらしい。読みたいなあ。
 ちょっと前に話題となった自伝『玉ねぎの皮をむきながら』も興味がある。読みたい。

ブリキの太鼓 (池澤夏樹=個人編集世界文学全集2)


 世の中には読みたい本がありすぎる。
 私の想像力は絶望的に貧困で、常に物語に飢えている。現実的な忙しさに空腹を紛らわせた気でいるが、ふとした瞬間に定型化した思考に気づいてしまう。
 つまらない大人になってしまった。
 せめてもの抵抗のために、私は今日も本を読む。
 

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