読書録 地方生活の日々と読書

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愛は金では買えない。それが親子であっても。『ゴリオ爺さん』バルザック

バルザックゴリオ爺さんを読んだ。

パリの社交界での成功を夢見る貧しい学生ラスティニャック。
彼の住む安下宿には、一代で財を成した裕福な商人であったゴリオ爺さんがいた。
ゴリオ爺さんが貧乏生活を送る羽目になったのは、美しい二人の娘のせいである。
華やかな社交界に暮らす二人の娘のために、ゴリオ爺さんは自分の財をせっせと娘にやるのだ。
何しろ社交界には金がかかる。
それでもゴリオ爺さんは幸せだと自分に言い聞かす。すべては娘たちの幸せのため。そして娘の幸せのためにはと、妻との思い出の品も、自らの年金も、すべて売ってしまうのだ。

残酷な物語だ。
物語の冒頭、ゴリオ爺さんはすでに貧しい老人だが、物語が進むにつれ彼はますます貧しくなっていく。
しかし彼の娘たちは、ゴリオ爺さんをけっして親として尊重しないのだ。
彼は失意と、病が見せる幸せな幻の中で死んでいく。臨終前の、数ページにも及ぶ老人の叫びの痛々しさ。
奇跡は起きないのだ。
そしてバルザックは、ラスティニャックがあげたゴリオ爺さんの葬儀埋葬にかかった値段を細かく記す。死ぬにも金がかかるのだ、弔いさえも金次第、という当たり前の事実を読者に突きつける。

(しかし赤の他人の看病をし、葬儀まであげるラスティニャックの存在は、現代社会の中にいる私からすると十分に「奇跡」的な存在に思える。そう、ゴリオ爺さんは「孤独死」したわけではないのだ)

貧乏人の死というシリアスなテーマを扱っているが、この物語は決して暗いものではない。
「人間喜劇」、この言葉がしめすように、物語はどこか軽く、するすると進んでいく。
びっくりするほど読みやすい。
バルザックは、だいぶ昔に『百歳の人――魔術師』という本を挫折したことがあったので、読み通せるか少し不安だったのだけれど、まったくの杞憂だった。

19世紀パリ社交界の「恋愛」が、現代日本のそれとは大きくことなることも興味深かった。
田舎から出てきたラスティニャックは、そこで出世の道具としての「愛」、金蔓としての「愛」に出会う。

借金でつくられた煌びやかなドレス。
政治結婚と愛人たち。
噂と野次馬根性に満ちた晩餐会。

圧倒されて読了。
ゴリオ爺さんの物語はここでエンディングを迎えたが、彼の臨終を見送ったラスティニャックの人生は続く。
「人間喜劇」作品群の別の物語に、彼は登場するそうなので、それらも読んでみたいと思った。
物語の半ばでいきなり退場していった謎の男ヴォ―トランの今後も気になる。

ゴリオ爺さん (古典新訳文庫)