amazarashi『命にふさわしい』
何度かこのブログにも書いているが、amazarashiというバンドが大好きだ。
20代半ばまで、アイドルなども含め音楽グループに「はまる」という経験をしたことがなかった。
私は音楽には関心の低い人間なんだと思っていたし、はやりの曲を追いかける同級生たちにはどこかついていけなかった。興味がないものに対し、興味を持つことは難しい。
だからこそ自分がここまで一つのバンドにはまり、また、興味が持続していることに我ながら驚いている。
とは言うものの、ここしばらく音楽を聞かない生活をしていた。amazarashiへの関心も、このまま薄れるのではないかとさえ思った。
が、しかし。
2月にリリースされた『命にふさわしい』という曲。先日読んだ森博嗣の『赤目姫の潮解』とどこかイメージが重なるなと思いながら、youtubeに上がっているMVを観た。『赤目姫の潮解』は人形と人形遣いがテーマのSFで、『命にふさわしい』のMVは人形がひたすら破壊されるというものだ。心、そして、実在。
聞いて、聞いて、聞いた。
いつの間にか見入っていた。何度も、何度も再生を繰り返した。
歌詞を検索し、CDを買い、ライブのチケットを予約していた。今月は節約頑張っていたのに。(『命にふさわしい』が主題歌のゲーム『NieR:Automata / ニーア オートマタ』も欲しいのだけど、さすがにPS4買うお金はなかった)
土日はずっと聞いていたし、仕事中も頭の中で歌詞をリピートしていた。これじゃあ中毒だ。
でも、ほんと、すごくいいと思う、この曲。
音楽的な知識がないので、専門的なことは何一つ語ることができないのだけれど、聞くと心がざわざわする。
歌詞の力。ことばの力。歌はすごい、と素直に思う。
道すがら何があった? 傷ついて笑うその癖は
裏切られたっていいと 道端ひれ伏すような
酩酊の夜明けこそ 命にふさわしい
失くした何かの埋め合わせを 探してばかりいるけど
そうじゃなく 喪失も正解と言えるような 逆転劇を期待している
そしてそれは決して不可能じゃない
途絶えた足跡も 旅路と呼べ
ほんとうは、今日ブログに、昨日湯船の中で一気読みした絲山秋子の『ばかもの』の感想を書こうと思っていたのだけど、パソコンで『命にふさわしい』はじめamazarashiの曲を流しているので、歌詞に引きずられて本の文章がうまく入ってこない。そして今夜は『村野四郎詩集』を読もうと思っていたのだけど、きっとそれも読めないだろうな。音楽を切れよ、という話ではあるのだけれど。
↓おまけ。過去のamazarashi記事。1年前と2年前にも同じような記事を書いていました……