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【読書感想】小池昌代編『恋愛詩集』 恋愛詩を超えた恋愛詩たちをよむ

大好きな詩集、小池昌代『通勤電車で読む詩集』の続編、同編者による現代詩のアンソロジー『恋愛詩集』を買ったのは一昨年の夏の終わりだったと思う。そしてそれは予想通り、私の読書の歴史の中の2016年を代表する一冊となった。
買ってから約二年がたった。何度も読み直した。風呂の中で、布団の中で。

恋愛詩集、というタイトルであるが、いかにも恋愛!な詩は少ない。
一歩間違えたら、恋愛詩はいわゆるポエムと化してしまう。ポエムと詩の違いは何かと言われると確かにその線引きは難しいのだが、この詩集を読むと確かにここには、選ばれた言葉で綴られた詩がある。詩人は決して俗にいう恋愛、一般名詞である恋愛を、書こうとしたのではないことが伝わってくる。
私たちが向き合うのは、常に個別の、固有名詞としての恋であり、愛なのだ。そしてそれは人の数だけ違った形があり、解釈・意味付けがある。

例えば、高村光太郎の詩。この詩集には、『智恵子抄』の中から『樹下の二人』という一編が引かれている。彼はただ、彼の愛する妻をうたった。そこにあるのは智恵子という1人の女性に対する強烈な憧れである。

または会田綱雄の『伝説』という詩。この詩は特定の誰かをうたったものではない。とある山間の湖のそばに暮らす夫婦をうたった歌である。彼らは湖でカニを捕まえ、それを売り、日々の糧にし、子供を育てる。そんな大昔から受け継がれてきた暮らしをうたった歌である。
私の固有の人生が、父母の人生を通して生まれ、やがて、子供の人生へと受け継がれていくことの不思議。個別の人生が個別の恋愛を経て他人の個別の人生と繋がり、やがて大きな流れへと収斂していく。その流れの中ではあるいは恋愛などあってもなくても同じなのかもしれない。しかしそれを愛の奇跡とでも言い換えることも可能だろう。

この詩集には一見して、この詩のどこが恋愛、と思うような詩も収録されている。何度読んでもこれのどこが恋愛?と思う詩もある。
この詩集の中で一番好きな詩は、村田四郎『秋の犬』である。これもなかなか恋愛とは結びつかない詩だ。
野良犬の視点で、野良犬の人生観をうたった詩だ。

何かやさしいものが
耳元をかすめていったが
振りむいて見ようともしなかった

はじめから おれには主人がなかったことを
憶えきれないほどの多くの不幸が
おしえていて呉れたからだ

諦めと開き直り。野良犬に生まれてしまった運命に対する諦めと、しかし生まれてしまったからには生きるしかないじゃないか、という開き直り。存在の不合理を歌う詩なのに、読むとなんだか優しい気持ちになる。

この、なんだか優しい気持ちになること、これが恋愛に繋がるのかな、と思った。
どうしようもない運命を受け入れる。どうしようもない自分を、そして、同じようにどうしようもない人生を生きるあなたを受け入れる、それが恋愛、なのかもしれない。
うん、この詩、大好き。


他にも印象的な恋愛詩がたくさんつまった一冊。大切に読んでいきたい。

恋愛詩集 (NHK出版新書)

恋愛詩集 (NHK出版新書)