読書録 地方生活の日々と読書

趣味が読書と言えるようになりたい。

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レシピ3つのレシピ本。『いちばんおいしい家カレーをつくる』水野仁輔著

 またまたすごい本に出会ってしまった。
 『いちばんおいしい家カレーをつくる』というカレー本である。著者は「東京カリ~番長」で有名な水野仁輔さん。ネットメディアでも時々見かける名前である。著者は、カレーの本をたくさん出しておられ、私も何冊か読んだことがあるが、この本は飛び抜けてユニークだ。何しろ載っているレシピが3つだけなのである。

はじめに
1章 欧風カレーをつくる
2章 インドカレーをつくる
3章 ファイナルカレーをつくる
おわりに
付録 材料を買い出しに行く


 一つ目のレシピは、牛肉とカレールーを使った欧風カレー。二つ目のレシピは、鶏肉とスパイスを使ったインドカレー。そして三つ目は欧風カレーとインドカレーのいいとこどりをした「ファイナルカレー」(使用するお肉は梅酒で下味をつけた豚肉)である。

 本のページ数は119ページ。けっして短いわけではない。そこに3種類のレシピしかないのだから、必然的に一つ一つのレシピに対する情報量が多くなっている。各工程に写真がついているのは勿論だが、しかしページをパラパラとめくって気がつくのは文字の多さである。レシピ本には珍しく右側から捲る形の本であり、そこに縦書きの文章がギュッと詰まっている。読むと「何故この工程が必要と著者が考えるのか」ということが書かれており、面白い。文章といっても堅苦しいものではなく、サクッと読めてしまえるのも良いところだろう。

我が家のスパイスカレー

 私は数年前からスパイスからカレーを作ることを覚えたのだが、初めて作る時に参考にし、それからも作る見返してるのがはてな匿名ダイアリー「我が家のインドカレー」という記事である。

anond.hatelabo.jp


 トマトと玉ねぎと4種類のスパイス(クミンシード、コリアンダーターメリック、レッドチリ)と生姜、ニンニク、塩だけで作るシンプルなカレーを紹介している。レシピを参考に作ると、シンプルだが飽きのこないカレーになる。またこの匿名ダイアリーの良いところは、トラックバックやブックマークコメントに「辛いのが苦手ならレッドチリの代わりにパプリカを使うと良い」とか、「クミンシードの食感が苦手ならマスタードシードを使えば良い」とか、ガラムマサラについて、スパイスを増やす際のコツ、といった情報が続々と集まってきているところである。眺めるだけでスパイスカレーの奥深さが感じられて、読んでいて楽しい。ちなみにこの匿名ダイアリーの著者は、紹介しているレシピを30分で作れると書いてあるが、私はまだ無理だ。それでも平日思い立ったら作れる手軽なレシピで、すっかりカレーが身近になった。

 ところでカレー作りに欠かせないのが、スパイスである。これまたネットの情報によると、スパイス類は通販で買うと安いということを知った。ネットショップを覗いてみると確かに安いうえ、品揃えがよく、100グラム単位でスパイスを買うようになった。その結果として、カレーをせっせと作らなければスパイスを使い切れないような状況になってしまった。また作れば作るほど色々とアレンジをしたくなり、1つまた1つとスパイスが増えていった。自然といろいろなカレーレシピを見るようになった。図書館や本屋さんにはカレーのみを扱ったレシピ本がたくさんある。インターネットにも情報は溢れている。そんな情報の海の中から見つけたのがこの1冊である。

 カレーレシピの本の中には、かなり専門的な材料を使うことを前提に書かれているものがある。しかしこの本はそこまで専門的な材料を使っていないところに特徴がある。そうこの本のカレーが目指すところは、あくまで家カレーなのである。本の後ろには、材料の買い方のアドバイス集になっているが、どこにでもあるスーパーで買い揃えることを前提にしており好感がもてる。何しろ、カレールーの選び方のポイントまで載っているのだ。

 さてレシピはある。材料も入手可能だ。あとは作るだけ、なのだが、実はこの本のレシピでカレーを作っていない。なぜならこのレシピ(欧風カレー、ファイナルカレー)には、ミキサーを使用する工程があるのだ。我が家にはミキサーもフードプロセッサーもない。セロリなどの野菜をミキサーにかけ、ジュース状にするのだ。すり鉢とすりこぎで頑張るのは、辛そうだ。
 しかし無い物は仕方がない。まずはインドカレーを試してみようと思う。

いちばんおいしい家カレーをつくる

いちばんおいしい家カレーをつくる

  • 作者:水野 仁輔
  • 発売日: 2017/05/30
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)

『闇市』マイク・モラスキー編【読書感想】

戦中戦後の日常であった「闇市」をテーマにしたアンソロジー新潮文庫で見つけた。編者のマイク・モラスキーさんは、本の紹介によると早稲田大学国際教養学部教授で、日本の戦後文学やジャズ音楽がご専門という。このアンソロジーの特徴は選書にある。冒頭に編者による「はじめに」という章があり、そこでこのアンソロジーに収録された本の選書基準が明記されている。そしてそれら選ばれた短編は3つの小テーマに分類されて収録されている。またそれぞれの小テーマ、短編については編者による少し長めの解説がつけられている。アンソロジーにも色々あるが、なかなか充実した一冊だと思う。目次を引こう。

はじめに

経済流通システム
『貨幣』太宰治
軍事法廷』耕直人
『裸の捕虜』鄭承博

新時代の象徴
『桜の下にて』平林たい子
『にぎり飯』永井荷風
『日月様』坂口安吾
『浣腸とマリア』野坂昭如

解放区
『訪問客』織田作之助
『蜆』梅崎春生
『野ざらし石川淳
『蝶々』中里恒子

解説 マイク・モラスキー
文庫版あとがき
著者紹介
初出一覧

初めて読む作家の短編も多かったが、どの短編も面白かった。特に良かったと思ったのは『裸の捕虜』『桜の下にて』『にぎり飯』『蝶々』。

また著者による解説にあった「闇市」は「イチバ」という場所であったと同時に「シジョウ」というシステムであったという指摘は面白いと思った。取り上げられている短編を通して読むとは「闇市」と一言で言っても、多彩な側面を持っていたことが分かるようになっている。それは食料や日常品の供給システムとして市民生活に、あるいは企業活動にまで大きな影響を与えていたのだということが、物語から察せられる。そして人々のメンタリティにも、戦後の生き方にまでも、大きな影響を与えていたのだろう。闇市は、ある物語の主人公にとっては、本来の自分を発見する過程であり、ある者にとっては夢を諦め直面しないといけない現実であった。捨て去りたい過去でもあれば、大金を与えてくれるものでもあった。

私はもちろん今の安定した市場と社会しか知らない。配給制も大暴落も経験していない。それはとても幸せである。しかし私の祖父母の代の人間は誰もが、戦中戦後の混乱した社会を、「闇市」のある社会を、それぞれの方法で生き抜いてきたのだと思うと凄いことだなと素直に思う。

闇市 (新潮文庫)

闇市 (新潮文庫)

  • 作者:
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2018/07/28
  • メディア: 文庫

『CATS』トム・フーパー監督【映画感想】

 映画『CATS』を観てきた。

 高校生のときに『CATS』というミュージカルがあること、都会には『CATS』専用の円形劇場まであることを知ってから、観てみたいものだと思っていた。しかし観劇する機会はなく、いつか観たい観たいと思いながらも10年以上が経ってしまった。そんなときに『CATS』の映画化の話を知った。監督はレ・ミゼラブルトム・フーパー氏。私は映画『レ・ミゼラブル』が大好きで、映画館で3回観て、DVDも買って、サントラも通常版とデラックス版両方を購入した。自分の中の『CATS』への期待は否が応でも高まっていた。公開日が近づくにつれ、どうやら海外での評判が悪いらしいとの噂を知った。私はフィクションはネタバレされずに楽しみたいと思っているので、出来るだけ噂の詳細は聞かない・読まないようにしていた。予告編を観て、猫たちのビジュアルを知り、これが原因かと思った。私は猫たちにそこまで違和感を覚えなかった。それでも噂のことはどこか気になり、高まっていたテンションは少し冷めた状態で、映画館に足を運んだ。
 先の日曜日、映画館へ行ってきた。地元の映画館の一番大きなスクリーンで上映されていたが、客席は3分の2ほどしか埋まっていなかった。女性のお客さんが多く、年齢層は高めだった。

『CATS』感想。

 1時間50分の上映時間はあっという間だった。

 観ながら感じていたのは、実は「戸惑い」だった。面白いのか面白くないのか判断が出来ない。この映像体験は何なのか。私は何を観ているのか。私の中の半分は、役者さんたちの肉体美や音楽に圧倒され、もう半分はそれらをどのように受け取ったらいいものか戸惑っていた。
 このミュージカル映画は異質だ。そう感じた。
 私が観てきたミュージカル映画の大半は、単純明快なものだった。『マンマ・ミーア』「親子で結婚してハッピー」だし、ハイスクール・ミュージカル「柄ではないけど演劇って楽しい」だし、オペラ座の怪人「ゴシック的な雰囲気でラブストーリー」だし、レ・ミゼラブル「人生山あり谷あり革命あり」である。時系列に沿ったストーリーがあり、登場人物たちの悩みや葛藤、そしてその克服が分かりやすく提示される。
 しかしこの『CATS』は、ストーリーがあるようでなく、また登場人物たちの背景の説明がなく、暗喩に満ちている。大まかなストーリーとしては、年に一度、猫たちの中から「生まれ変わることができる猫」を選ぶ、というものだが、この「生まれ変わる」という言葉が何を示しているのか分かりにくいし(物語のラストに暗示される)、それぞれの猫たちが「何故生まれ変わりたいのか」という理由がいまいちよく分からなかった。この説明(理屈)のなさ、というのが『CATS』という物語の特徴なのだと思うが、一般的な映画文法に従った映画を見るつもりだった私は、この映画の仕様に大いに戸惑った。
 そんな戸惑いのなか思い浮かんできたのは、シルク・ドゥ・ソレイユの舞台である。説明のなさ、それでいて、音楽と人とが一体となって作り上げる舞台に圧倒されつつも魅了される感じが、シルク・ドゥ・ソレイユの舞台を観ているときの感じを思い出させた。これはもう、素直に映画に圧倒されて、その状態を楽しめばよいのだな、と思った。

なぜ猫たちは服を着なかったのか

 ところで映画を観ながらもう一つ思ったことがある。「どうして猫たちは服をきていなかったのだろうか」ということである。
 映画の猫たちのほとんどは裸(毛皮)だ。服っぽい毛並みの猫もいるのだけれども、そうでない猫も多い。しかし一部の猫たちは服を着ている。私は他の猫もみんな服を着たら良かったのにと思った。この映画の売りである、肉体や動きの美しさについては服を着ない方が強調されるので、そのために裸にしたのだろうと思う。それでも私は、もしこの猫たちが服を着ていたら、どんな服を着ることになったのかと考えてしまった。
 この映画を見て、私は逆説的に映画や演劇におけるヘア・メイクの重要性について、気付かされた気がした。猫たちがもっと個性的でごたごたした(それこそ『レ・ミゼラブル』の登場人物たちみたいな)衣装を着てくれていたら、だいぶ印象が変わるのではないかなと思った。個性や背景も分かりやすくなるだろうし、私はこの映画の舞台の風景や雰囲気が好きなので、風景にあう雰囲気にあう衣装を観たかったなと思った。
 賛否あるヴィジュアルに対する評価も服の有無で変わったのではないだろうかとも思う。

 ただ、やはり役者の動きという面では、服を着ていなくてよかったのかなと思う。私は舞踊のことはまったく分からないのだが、この映画の猫たちのダンスは素晴らしかったと思う。この映画では、尻尾による表現ができるので、猫たちは人間よりも表現の幅が広い。その幅をいっぱいに生かしたダンスだった。そしてそのような尻尾のある姿が映えるのは、やはり裸の毛並みなのだと思う。
また服を着た猫と着ていない猫を用意することで、その事自体がそれぞれの個性を表しているという見方もできる。捨て猫で、何者でもなかった本映画の主人公ヴィクトリアが裸なのが象徴的だ。

このように書き連ねて思うのが、やはりこの映画は面白い映画だということだ。なんだか自分の書いた感想を確かめるために、もう一度この映画を観たくなってきた。
そして観るにはやはり映画館で観るべきだろう。華麗に動き回る猫たちのショーを楽しめるのはやはり映画館の大舞台だ。

キャッツ (ちくま文庫)

キャッツ (ちくま文庫)

いつか原作も読んでみたい。