若松孝二監督『千年の愉楽』 中山健次原作
海辺の路地を舞台に、産婆の主人公と、彼女のとりあげた男らの生き様が淡々とした描写によって炙り出されていく。男たちはその体に流れる女狂いの血にあがらい、もがきながら、何かを求めるように(金なのか、生の実感なのか、それとも普通の生活なのか)短い生を生きていく。そんな男らを女たちは見守ることしかできない。男らはやがて路地を去っていく。運命に破れたのか、それともそのような宿命なのか。路地には女と子どもが残される。
宿命とは、何だろうか。
血に縛られた男たちを観て思う。この映画は非差別地域を取り上げている。しかし私はこの映画を通し、最も普遍的な人間の有り様のようなものを思った。
宿命といえば、すべての人間は生まれて死ぬ宿命をもっている。結局は、生きて死ぬだけの存在にすぎない人間は、しかし、その生の最中に置いて、生の意味を求めずにはいられない。私たちはそのやって意味を見つけようともがく私たち自身を、死ぬその瞬間まで見守るしかない。
ところで本作の原作は中山健次の手による。
恥ずかしながら彼の作品は未読である。一昨日の日曜日、秋晴れに誘われての書店めぐりで彼の小説を探した。形から入る人間なので、有名な作品から読もうと小説を探した。しかし見つからない。本作も見つからなかった。
そこで随筆「紀州」を購入。作者の思想がダイレクトに伝わる随筆は好きだ。
まだ未読だが、読むのが今から楽しみだ。