いくら恋しても人の理解には至らない 大岡昇平『花影』
感想が書きにくい小説である。
大岡昇平『花影』講談社文芸文庫。
ちなみに講談社文芸文庫は大好きです。
ネタばれ注意。
主人公葉子は40歳手前の元ホステス。
16の時から男と共に生きてきた女である。
甲斐性なしの愛人から、彼女が別れた時から物語は始まる。
子どもの時の無知な純真を持ったまま大人になってしまったような葉子に、自身の年齢と現実が否応なく押し寄せる。古巣である銀座でバーの雇われマダムとなった彼女は流されるように恋愛を繰り返す。
本気な男と遊びの男。
本気な男は殴り、遊びの男はズルく立ち回る。
そして最後は、男たちは葉子の元を去っていく。
孤独な女がそこにいた。
男に依存し主体性のないかのようにみえた葉子は、しかし一人の強い女であった。
「ずっと前から、支度はすんでいたのである」
葉子は何も言わず、服毒自殺を遂げる。
入念な準備の末に。
生き残った男たちに、彼女の真意は伝わらない。
一人の女の生と死が、感情を抑えた筆致で淡々と記される。
葉子の生は儚い。
なにが儚いか。
彼女は何かを成すことも、将来に備えることもせず生きた。
目標を持ち、それを達成することに人生の価値を置く現代人の視点から見ると、彼女の生き方は命の浪費である。それは彼女に恋した男たちの目にも同じだった。
男たちは彼女のその今を生きるだけの生き方に、自らにないものを見る。
だから惹かれた。そして見下した。
所詮、葉子は歳とったバーのホステスだからだ、と。
そして我々とは違うのだ。
男たちに見くびられ、女という玩具もしくは意のままになる子どものように扱われた彼女はしかし、主体性をもった人間であった。
私たちは葉子から、誰かを見下していないかと問いかけられる。
目の前にいるのは一人の人間である。
尊敬できるできない、役に立つ立たない、あるいは、面白い面白くない。
そんな表面的な情報で目の前の人を切り捨ててはいないか。
人間はそんなに簡単に理解できるものではない。
一人の人間を理解できた、と思ってしまうほど、貧しいことはない。
葉子の内にある姿は、誰にも伝わらない。
彼女の自殺をもってしても。
だから、彼女の生は儚い。
彼女は誰にも理解されえなかった。
そして男たちは自らの浅はかさに気づきもせず、生きていく。