読書録 地方生活の日々と読書

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衝動と運命について 『月と六ペンス』 サマセット・モーム【読書感想】

文学作品、と聞くと身構えてしまう。

サマーセット・モーム作『月と六ペンス』、高校の国語便覧にも載っていた作品だ。
出ているレーベルも新潮文庫岩波文庫や光文社「古典」新訳であるし、私が手に取った新潮文庫の帯に書いてある同一シリーズには、ゲーテニーチェの名前もある。
当然お堅そうな内容だろうと覚悟して本を開いた。
案の定、堅そうな内容が続く。
作中の私が画家ストリックランドの功績を述べている。
芸術論のようでもありなかなか頭に入りにくい。
このような非ストーリー的な説明が続くのか、読み通せるだろうかと絶望しかかっていたところ、3章目から物語はにわかに動き出す。

月も六ペンスも出てはこない

それからは、川が水量や勢いを変え、様々な景観を呈しつつ流れていくように、物語は進んでいく。
面白い。
画家になる前のストリックランド、パリに出たストリックランド、そして、タヒチに没したストリックランド。
彼に関わる男と女
彼らは、不可解さという点を持って、極めて人間臭い。
特に、ストリックランドの最初の妻エイミー、彼女は夫であるストリックランドに突然、捨てられるのだが、そのときの反応が面白い。

はじめ彼女は、夫は若い女に目がくらみ、駆け落ちしたと思いこむ。
その結果、女と逃げた男への強い執着を示し、主人公の私に、ストリックランドを連れ戻すように懇願する。
主人公がストリックランドの元を訪れた結果、彼は絵を描くために、家族を含め全てを捨てたことが判明する。
夫の失踪が女がらみではないと知ったエイミーは、彼への執着をあっさりと切り捨て、さっさと事業を起こしてしまう。

この変わり身の早さ。
女の嫉妬は、別の女には働いても、芸術の女神には働かない。
現実に生きる女の生態が露骨に表出する。
でもそこに居るのは、決して嫌な女ではない。
まあ人間ってこんなもんだよね、しょうがないよね、と言いたくなるような女や男にこの小説は溢れている。
妻をストリックランドに寝とられてしまう商売上手の画家や情熱に取りつかれ家族と無人島に住み着いて20年になる男など、彼らは生き方の選択の多様性とその普通とは離れた選択肢をとらざるおえなくなった運命や縁といったものを教えてくれる。
ストリックランドだってそうだ。
彼こそ、芸術の女神に微笑まれなければ、一商人として平凡だが幸せな一生を送ることができたのだ。
でも囚われてしまった。
人間だもの。
不可解な衝動にいつ囚われるかも分からない人間という生物。
その人間が織りなす人間関係の妙。
モームの人間に対する深い洞察力に、素直に敬意を表したい。

文学作品と通俗小説

文学作品と通俗小説の違いをあげることに意味はない。
強いストーリー性を有したものを通俗小説とするのならば、『月と六ペンス』は通俗小説だろう。
しかしそのストーリーでモームが表わそうとしたものは何か。
人間と人生の不可解さ、割り切れなさであろうか。
読んでいるとすべての文学に通じるものを、確かに感じる。
より文学的な作品であるという『人間の絆』も是非読んでみたい。

またストリックランドのモデルとなった画家ゴーギャンや、タヒチについてももっと知りたいと思った。
よくよく考えるともう一年ほど美術館には行っていない。
芸術とは何か、文学とは何か、私にはたぶん一生分からない。
せめて、人生とは何かという問いを、死ぬまで問い続けたいと思う。

月と六ペンス (新潮文庫)