読書録 地方生活の日々と読書

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『ホームレス博士 派遣村・ブラック企業化する大学院』水月昭道

読んだ。
大昔に読んだ気がする(5年ほど前か)、『高学歴ワーキングプア』の続編ともいえる本作。
おぼろげにある前作の記憶に比べ、よりエッセイ色が強い気がする。
中身は、

 第一部 派遣村ブラック企業化する大学院
 第二部 希望を捨て、「しぶとく」生きるには
 対談 大学院に行く意味を考える 鈴木謙介×水月昭道

となっている。

すごい数字たち。

第一部は題名の通り、大学院生や博士たちが直面する社会の実態をどろどろと描き出している。
大学院生を増やしたはいいが、その大学院生を受け入れる体制が整っていない日本社会で、博士号をとったは良いがそれを生かした就職ができない人間が多数いるとのこと。
2010年に出版された本なので、現在の状況がどれだけ改善されたか(もしくは悪化しているのか)は分からない。
もちろん博士課程に進んだ全ての人に当てはまる話でもないだろう。
しかし中には恐ろしい数字が並んでいる。

9.1%

これは、平成二一年度における日本の大学院"博士"過程修了者の"死亡・不詳の者"の割合である。

0.0258%

これは、平成二一年度の"自殺者"の割合だ。

自殺者が多いと言われる日本人の平均値よりもずっと高い割合で、大学院では死亡および不詳者が出ているというのだ。
ついでに厚生労働省の資料を見てみた。
平成二十年度の25-29歳の死亡率は0.049%、全世代合計でも0.9071%。
もちろん単純な比較はできないが、普通に生きているよりもずっと死亡率が高くなるようだ。
命を数字で語ることはできない。
この割合を構成する一人ひとりに、親があり、人生があったのだと思うとやるせない。
「末は博士か、大臣か」、親の期待も、なによりも自分への期待も重かったろう。

本書の底力は数字じゃない。

しかし本書の魅力は一部に上げられている気が重くなるような数字たちではない。
二部を構成するのは、著者の生き方論だ。
このような非学術的でデータのない新書は、嫌いな方は嫌いだろう。
が、私はなかなか好きである。
人生の意義も、学術の魅力も、数字や損得勘定では表わせない。
著者が説く、苦しく先の見えない学術ライフの考え方は、今の生活に苦しさを感じる全ての人に聞いてもらいたい。
突飛なことではない。
ただ、こんな言葉が胸に刺さる。

「なんのために学ぶのか」の答えが「自分のため」だけに収斂してしまっている。

私は何のために学んでいるのか。
高校生のあのころ、確かに「学びたい」と思って、大学・学部選びをしたはずだ。
就活を勝ち抜くためでは、もちろんなかった。
実を言うと、就職に不利な学部を選んでしまったことを後悔したこともある。
だけど、この大学で学んできたことを白紙に戻したいなんて思わない。

好きなこと(学術研究)していて、食べていけないのは仕方がないという自己責任論も分かるけれども。
「やりがい搾取」なんて言葉も浮かんできたけれども。
どのような社会であれば公平で、正しいのかは分からない。

何のために学ぶのか。
何のために働くのか。

答えは、たぶん、いろいろある。
それぞれの答えが、少しずつ間違っていて、それでいて全部正解なのだろう。

著者の博士号取得後のバイト生活の様子や感想なども興味深い。
そして誰も指摘しなかった問題を指摘し、顕在化させる姿勢は見習いたいと思う。

ホームレス博士 派遣村・ブラック企業化する大学院 (光文社新書)