小説『モンスター』 百田尚樹
美容整形の賛否はここでは問わない。
しかし世には「美容整形もの」とでも形容できる作品群がある。
例えば映画化もされた『カンナさん大成功です』『ヘルタースケルター』などなど。
整形ではないが漫画『脂肪という名の服を着て』なんかも入れても良いだろう。
どうして人はこれらのジャンルを好むのだろう。
それらの作品にはある定理がある。
整形した人物は自分に強烈なコンプレックスを持っており、そのコンプレックスを克服しない限り幸せにはなれない。
私たちは、彼女が(不思議なことにこのジャンルの主人公は女性が多い)無事そのコンプレックスを克服し幸せになるのか、それとも整形手術によってコンプレックスを隠蔽し忘れた振りをし続けることで不幸になるのか、どきどきしながら見守る。
以上のようなことをどことなく分かっていながらも観てしまうのは、一種の怖いもの見たさであるのだと思う。
コンプレックスに負けた人間は醜く、不幸だ。
このジャンルには、最終的にはハッピーエンドであるにしても、コンプレックスまみれで不幸な人間が出てくる。
他人の不幸は蜜の味。
このジャンルの作品は、社会生活においては抑制しなければならない残虐な心を刺激し、慰めてくれる。
もちろんこのジャンルには小説もある。
百田尚樹『モンスター』には、初恋の思い出に捕らわれた整形美女が登場する。
以下、ネタばれ注意。
モンスター、バケモンとよばれた女
映画化もされ、ご存知の方も多いだろう本作。
しかし映画の方は見ていないので、幻冬舎文庫ベースで書いていきます。
本作の主人公未帆は、コンプレックスを克服できない組である。
彼女は美容整形に全てをかけた。
魂を売った。
そして美を手に入れた。
けれども心の中には昔のままの姿のがいる。
夢の中で私は顔を洗っている。もう何度も見た夢だ。だからいつも夢の世界だとわかる。だめだ、顔を上げたらいけない。 (p35)
私たち読者は、町一番の美女となった彼女の「化けの皮」がどの段階で剥がれるのかをどきどきしながら読み進める。
しかし読み進めるうちに、未帆のある種の冷静さに惹かれていく。
「化けの皮」が剥がされるのは、私たちの社会の方である。
彼女は驚くほど客観的に自らの容姿を評価する。
社会の中で自らの置かれる立場を淡々と分析し、語る。
彼女は整形手術を受けるたびに、社会の階層を上がっていく。
美をめぐる本音と建前が、明瞭に立ち現れる。
そしてあくまで冷静に、過去に彼女を貶しめた人々に復讐する。
社会の底辺だった彼女は、美を手に入れることで勝ち組の栄光を手にしたのだ。
モンスターの悲しみ
未帆は自らの顔と体をもって人間のを暴きだす。
男の思い上がり、女の狡さ、そして人間の自己中心さ。
でもその根底には、人並みに幸せになりたいという、彼女の狂おしいほどの切望がある。
そして幼く醜かった頃の彼女がどうしても手に入れることのできなかった男、エイスケを手に入れたいという欲望がある。
未帆の中には全てを諦めるほかなかった幼少期の和子がいる。
醜いが故に愛されなかったという過去は、そしてその過去のせいで幸せを手に入れることができない今は、悲しすぎる。
私的一番の読みどころは、物語も終盤、彼女の整形過程ややってきた仕事、全て知っている元風俗経営者・崎村が未帆にプロポーズするシーンである。
「お前さえよければ、俺と一緒に宮崎へ来ないか」 (p448)
未帆は予感する。もしこのプロポーズに「はい」と答えることができたなら、幸せになることができる。
しかし人間の悲しみは、幸せになることを望んでいるにも関わらず、自らの意志で幸せへの道を閉ざしてしまうことにある。
「ごめんなさい、崎村さん」 (p449)
未帆は未来の愛に決別し、過去の恋と対峙することを選ぶ。
そして物語は結末へと加速する。
オチは最後の2ページに集約される。
『幸福な生活』を書いた著者らしいオチがある。
そして最後の一行、この一行こそが、散々人間の本性を暴いてきた本文の中でも、最も残酷なものである。
全てがこの一行のブラックユーモアのためにあるのではないか、という気になるぐらい。