『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』 ジュノ・ディアス
良い本はその一冊の中に様々な要素を内包している。
今更ながら読んでみた。
とにかく面白かった。
この本を一言で言い表すことは難しい。
「とにかく読んでみて、すごいから」
誰にも勧めたくなる本、と言うのが一番かもしれない。
小説好きを自認する方は必読の著である。
小説観を変えるだけの力を秘めた本である。
あるいは世界観を。
もてない男が恋をした物語、だけど。
面白い小説を読むと、既存の小説ジャンルの枠の小ささに気づく。
小説を、純文学/通俗小説に分けることに何の意味があるのか。
そりゃあ、本選びの参考にはなるだろう。
けれども読み終わった者にとっては、ジャンル分けに大きな意味はない。
私は面白い本を読んだ。その事実があるだけだ。
本書はアメリカで出版された。
なのでアメリカ文学となるのだろう。
けれども本書の枠はアメリカを超越している。
舞台はアメリカとドミニカ。
主人公オスカーはドミニカ系アメリカ人である。
ドミニカ。
あまり馴染みのない国だ。
本書は歴史小説としての一面を持つ。
独裁国家であったドミニカを生き抜いた人々の物語である。
しかし心配ない。
ドミニカの歴史なんて考えたこともなかった無知な読者である私も十分に楽しむことができた。
歴史小説であると同時に現代小説である。
同じ世紀を生きる人間の物語でもあるのだ。
アメリカの物語であり、ドミニカの物語である。
マイノリティーの物語であり、戦う者の物語である。
家族の物語であり、恋人の物語である。
ファンタジーであり、リアリズム。
土着的であり、進歩的。
シリアスであり、ポップ。
亡くなったもの、生き続けるもの。
過去と現在と未来。
若さと老い。
抑制と開放。
一族にかけられたカリブの呪いフクとSFオタクのオスカー。
一代記ではなかった。
読前、題名から一代記であろうと目星をつけて読み始めた。
第一章は幼い頃のオスカーの描写から始まる。
しかし本書は一代記ではない。
読み進めるうちに、主人公のきょうだいや母親にも人生という物語があったことに気づく。
オスカーとその姉。
母親とその叔母。
祖父母と時代。
三代にわたる凄まじい物語である。
そして、その三代の物語は、すべてオスカーの人生に集約する。
超絶にモテないデブなオタクであるオスカーの恋とその凄まじい結末は、祖父アベラードが直面した凄まじい時代とアベラードの決断の帰結である。
誰の人生にも物語はある。
その物語は貴賎や古今東西老若男女関係なく等価である。
言うのは簡単だ。
そして実際にそうなのだろう。
けれども私たちは、周囲の人々の人生にも語れるだけの物語があることを忘れがちだ。
自らの物語の主人公は私だが、彼彼女らの物語では一人の登場人物にすぎないのだ。
オスカーも私と同様、家族の人々の物語を断片的にしか知らない。
盲目的に突き進む彼の物語の結末が、その血に強く依っていることを知らない。
オスカーは血の宿命、呪いによって生きて、死んだのか。
そうとも言える。が、それだけではない。
オスカーの血に流れるのは、カリブの呪いだけではない。
彼は権力に屈しない強い意志を受け継いだ息子でもあるのだ。
弱者であり、かつ、強者である者たちの三代にわたる物語は、現在を生きるしかない私を妙に力づける。
私たちは一人ではない。
私の体は、私の物語は、過去何代にも渡る親族たちの物語の帰結である。
私が生きているということは、私の先祖は確かに生き抜いてきたという事実の証明に他ならない。